琴言譚®︎[きんげんたん]

今、救世主なら語る

『公私混同』こそ大蛇のレシピ

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日本郵政グループ3社が東京証券取引所に上場した。ただ、今回、売却したのは全株式の10%程度で、残り90%は日本郵政が保有したまま。依然、国有化の状態にあり、民営からはほど遠い。持ち株会社である日本郵政西室泰三社長はとにかく早く民営化しないと「意味がない」というが、さて、ここで質問。「西室さん、あなたはなぜそんなに民営化を急ぐのですか」。
 
●「3~5年後までに売れ」 
 
「まずは安心」。上場3社の株価が上場前の売り出し価格を上回ったことに関係者はひとまず安堵の表情を浮かべた。仮に投資家が上場前に購入した価格を割り込み、投げ売りが始まるようなら、今後の上場計画は大きく狂う。その最悪のシナリオを避けられたことで、西室氏が強調する「今後3~5年後までに全株式の50%まで売却」が現実味を帯びてきた。
今回、株式が売却されたのは、ゆうちょ銀行、かんぽ生命の金融2社とその株式を保有する日本郵政。しかし、3社の全株式が売り払われたわけではなく依然、金融2社の89%の株式を日本郵政が保有、さらにその日本郵政の株式の89%を政府が持っているわけだから3社はいずれもまだ実質国有の状態にある。
西室氏が言うようにこの国が保有する株式の割合を50%にまで引き下げてしまえば、経営の実権は国から投資家たちの手に移る。そうならなければ「意味がない」と西室氏は言うのである。小泉政権時代から10年の歳月を費やし、身を切って進めてきた「構造改革」が具現化しないというのだ。
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 確かにその通りである。日本郵政は2007年に株式会社化、「民営」となったが、株主は国のままで、思いきった経営改革はできずに来た。ここを根こそぎ切り替えてしまわない限りは、非効率経営は是正できないというのは道理である。「今後3~5年」と西室氏が期限を切って遮二無二、国有を民有に切り替えようと急ぐのも理屈は分かる。
 
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●郵政に効率は必要か
 
 だが、この議論に肝心要な視点が欠けている。日本郵政に効率経営が必要なのかという視点だ。とりわけ日本郵政グループには今回、上場されたゆうちょ銀行とかんぽ生命のほかに、上場されなかった日本郵便がある。全国に2万4000もの郵便局網を持ち、人よりも牛や馬の数のほうが多い過疎地にも郵便局を配置、半日かけて山の中腹にある老人宅にハガキを届ける郵便局員も抱える。こうした郵便システムも人をリストラし、郵便局を統廃合し、効率化していく必要があるのかということだ。
 
 実際に日本郵便を数字だけで見ればかなり厳しい。グループ全体のお荷物であることは間違いない。2015年4~6月期決算でも日本郵便は77億円もの赤字を計上、これをゆうちょ銀行とかんぽ生命の利益で埋めている。例えばゆうちょ銀行とかんぽ生命は毎年1兆円近くを窓口業務の手数料として郵便局に払い、このお金を実質、全国の郵便局網を支えているために振り向けている。
 
 この状態がいつまで許されるのだろうか。ゆうちょ銀行とかんぽ生命が民営化されれば、その株式を持つ投資家たちはいずれ声をあげるだろう。「なぜ、我々の利益を過疎地の郵便局の維持に振り向けるのか」と。投資家としては当然だ。大切なお金をゆうちょ銀行、かんぽ生命の株に投資した以上、それに見合った配当金を求めるのはあたり前の権利だ。同じグループとは言え、まったく別会社の日本郵便のインフラ維持に「なぜ、配当原資を食われてしまのか」という主張には正当がある。
 
 しかし、ここに郵政民営化の1つのポイントがある。小泉構造改革日本郵政グループを民営化する際、過疎地からの批判をかわすため「ユニバーサルサービスは維持する」ことが条件となった。つまり、国民に対しどんな山奥であっても郵便局は統廃合しない条件で、民営化することを決めたのだ。言ってみれば、最初からまやかしがあったわけだ。
本来、日本郵政グループが民営化される以上、非効率は許されない。民間企業なら利益の最大化が至上命題になることは当然の帰結である。にもかかわらず、どんなに小さな郵便局もつぶさないユニバーサルサービスという「公」と、投資家の利益追求、効率化という「私」を混在させたままで、ことを進めた。相反する「公」と「私」の論理は併存を許さない。それを百も承知で政府は「公私混同」のまま郵政民営化をゴリ押ししていったのだ。もちろん、いずれ「私」が「公」を呑み込むことを見越してだ。この「公私混同」こそ大蛇が日本の郵便を呑み込むレシピなのだ。
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 そして、今回の上場。政府の目論見は見事に的中、世の中の潮目は変わりつつある。日本郵政グループが上場した以上、次はどうこの会社が民間企業として効率化を進め、成長戦略を定めていくかに関心が移りつつある。投資家たちが「ユニバーサルサービスは非効率」とし、見直し論を言い出すのも時間の問題だ。政府は労せず、利益至上主義の「民」の論理に「公」を呑み込ませ、日本郵便ユニバーサルサービスを解体することに成功する。
 
●郵便システムは日本列島の血脈
 
 郵便システムがほころべば日本の国力は確実に弱体化する。全国津々浦々に張り巡らせた郵便ネットワークは物流事業による収益システムでは決してない。日本列島の静脈であり動脈なのだ。だから日本郵便は赤い。これをズタズタに切り裂いてしまえば、日本国は起き上がれない。何としても「公」の力で支えねばならない。
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 郵便ネットワークを利益至上主義で解体してはならない。年にたった1度の孫の年賀状を1年間待ち続ける老人が1人でも山村にいる以上、それはどんなコストを払っても届けるのが郵便というものである。それを非効率という言葉で切って捨ててしまえば、人の心は通わなくなる。日本列島の静脈の血もまた通わない。国の信用も損なわれる。
 
  「公」と「私」は切り分けなければならない。「公私混同」こそ罪であり、罠だ。その罠にまんまとはまってはならない。(了)
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櫛名田比売が泣いている

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 日本郵政、ゆうちょ銀行、かんぽ生命が11月4日、株式を上場する。1987年の日本電信電話(NTT)に始まった政府保有株の売却劇も、これでついに大詰め。それはあたかも足名椎命(あしなづち)、手名椎命(てなづち)の最後の娘である※櫛名田比売(くしなだひめ)が※八岐大蛇(やまたのおろち)、つまり外資に食われる瞬間が迫りつつあることを意味する。国を売ろうとしているのは誰だ。

●本丸は295兆円

 復興財源として「4兆円だけは断固獲得していかなければならない」。麻生太郎財務相の言葉だ。政府は11月に日本郵政、ゆうちょ銀行、かんぽ生命の株式を売却し、初回だけでも最大1兆4362億円の資金を手にする。その後の売却分も含めると総計7兆円の資金が国に入る計算で、このうち4兆円を東北の復興に振り向けるという。
今、日本で最大の懸案事項であるのは東北の復興。その東北復興に国が持つ株式の売却で得た資金を振り向けるのはごく自然なことだ。麻生氏の頑張りももっともだと言える。ただ、不思議なのは、そのごく自然なことを実行するのに、一国の財務相ともあろう人物がなぜ「断固獲得」などと力んでみせなければならないのかということだ。あまりに芝居がかってはいまいか。
 そう。芝居なのである。麻生氏特有の芝居なのだ。これに国民は騙されてはならない。実は郵政株式問題の本質は、麻生氏がこだわってみせる株式の売却益にはない。
本質は郵政グループが持つ総資産だ。規模にして295兆円。実に国内総生産(GDP)の6割をしめるその巨額な資金にこそ、この郵政問題の本質がある。全国の2万4000の郵便局のネットワークで集められた庶民の貯金や保険料という資産が上場により極めて高いリスクにさらされるのだ。まさにここがポイントであり、今の政府の狙いだとも言える。だからこそ、あえて麻生氏はたった4兆円の売却益獲得劇を演出してみせているのだ。
ではなぜ、上場すれば295兆円が危険にさらされるのか。まず一義的には上場により投資家が発生することにある。ゆうちょ銀行やかんぽ生命の株式を買って投資家になった人たちは、自分の投資に見合うリターン、つまり配当を要求する。これは投資家としては正当な権利の主張だ。ただ、投資家の利益のため、ゆうちょ銀行やかんぽ生命はこれまでのように、それほど収益は上がらないが安全な国内運用に踏みとどまることは許されなくなる。リスクはあるがより運用収益が見込めるグローバル運用を迫られる。
これにより、ゆうちょ銀行とかんぽ生命は「投資家利益の拡大」「積極運用」という大義名分を得る。利益を最大化させるためのグローバル投資という美名のもとに国富を海外に流出させる正当性を獲得するわけだ。ゆうちょ銀行もかんぽ生命も大手を振って、資金を国外に持ち出せる。
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●始まった国富流出

実際、すでにその予兆は表れている。例えばゆうちょ銀行の運用資産のうち日本国債の購入に振り向けられたのは2007年10月の日本郵政発足時で194兆円あったが、すでにその額は目減りし107兆円。代わりに増えたのが外債だ。2015年3月時点で46兆円もの外債を購入している。上場を契機にこの割合は積み上げられる計画で、今後3年で3割増やし、60兆円にまで拡大する見通しだ。金利は度外視で「もっとも安全」と信じ、ゆうちょ銀行に預けてきた地方の高齢者たちのお金が、回り回って外国への投資に振り向けられているのが現実だ。
これまで郵便局に預けられた貯金はいったん国に吸い上げられたうえで、財政投融資という形で主に日本国内のインフラ整備に投入されてきた。良い意味でも悪い意味でも第2の予算として、国の財政を支えてきたが、上場によりそれがままならなくなる。グローバル投資の名のもとに、海外に資金は流出、やがてそれが止まらなくなる。まるで八岐大蛇がヤシオリの酒を呑むがごとくに、大蛇が樽の酒を飲み干してしまうまで続く。それが、今の政府が描いたシナリオなのだ。麻生氏は、これをカムフラージュしようとしているのだ。

●西室人事に透ける目論見

郵政グループの人事を見れば、政府の国富流出計画が見事に見て取れる。その人事を操っているのは何を隠そう東芝出身の西室泰三氏だ。あれだけの決算粉飾事件を起こし上場廃止の危機に見舞われた東芝の実質的な代表ながら、西室氏は今だ健在である。そして明け透けである。最たるものは4月のゆうちょ銀行のトップ人事で、西室氏自身は日本郵政の社長に身を置きつつ、兼務していたゆうちょ銀行の社長ポストを※長門正貢(ながと      まさつぐ)氏に譲ったのだ。
長門氏は一橋大卒、旧日本興業銀行出身で海外部門を経験し、シティバンク銀行会長も務めた人物。絵に描いたような「グローバル人材」だ。「貯蓄から投資への流れを後押しする」と明確に宣言しており、単に資金を眠らせておくことを悪とし、積極的に投資の流れを作る考えだという。もちろんその資金の振り向け先は、日本国内ではなく海外だ。
西室人脈はこれにとどまらない。6月1日にはゴールドマン・サックス証券元副会長の佐護勝紀(さご かつのり)氏を運用部門のトップに迎えたのだ。日本のお年寄りから集めたお金の総責任者をこともあろうか、ゴールドマン・サックス証券出身者にゆだねたわけで、早速、佐護氏はすでにそのお金の運用方針について「世界でみても一流の運用機関になれるよう、鍛えていく」ことを明かにしている。まるで、国内運用が二流以下、海外に資金運用こそ世界で通用する一流の運用方針であると言わんばかりの物言いだが、こうした西室人脈に基づく面々を見れば、ゆうちょ銀行やかんぽ生命のお金の行く末がいかに危険に満ちあふれているかが、浮かび上がってくる。

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●決断は「今でしょう」

足名椎命、手名椎命は8人の娘を持った。その娘たちが八岐大蛇に次々と食われ、とうとう最後は櫛名田比売1人になった。今、日本の境遇もこれと似る。TPP合意により関税という国の守りは取り払われ、農業はむしばまれ、人々の食生活は乱れ始めている。ほぼ丸裸になりつつあるこの国。唯一の宝として残るのは、ゆうちょ銀行、かんぽ生命の資産だけで、これを失えば残るは1000兆円を超える借金のみだ。資産の裏付けを失った日本国債は世界の信任を失い価値は暴落する。ハイパーインフレの危機も笑ってはいられない。
さて、ではどうするか。足名椎命、手名椎命はスサノオ命に泣いてすがることで、櫛名田比売を守った。日本はどうか。八岐大蛇は今まさに牙をむく。泣いてすがるか、すがらぬか……。決断の時は、今である。(了)
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『日本略史 素戔嗚尊』に描かれたヤマタノオロチ月岡芳年・画)

【参考】《wikipediaより》
※『櫛名田比売(くしなだひめ)』…
クシナダヒメは、日本神話に登場する女神。『古事記』では櫛名田比売、『日本書紀』では奇稲田姫と表記する。
  ヤマタノオロチ退治の説話で登場する。アシナヅチテナヅチの8人の娘の中で最後に残った娘。ヤマタノオロチの生贄にされそうになっていたところを、スサノオにより姿を変えられて湯津爪櫛(ゆつつまぐし)になる。スサノオはこの櫛を頭に挿してヤマタノオロチと戦い退治する。

※『 ヤマタノオロチ(八岐大蛇、八俣遠呂智、八俣遠呂知)』…日本神話に登場する伝説の生物。

長門正貢(ながとまさつぐ)…1948年11月18日生。日本の実業家。シティバンク銀行会長を経て、ゆうちょ銀行社長。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

SUN(サン)マが決める国の盛衰

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「世の中で1番さびしいことはする仕事がないことです」。福沢諭吉の「心訓」のなかの言葉である。確かに職のないことは寂しい。ただ、これは海のサンマとて同じことだ。仕事がなければサンマも寂しい。ではサンマの仕事とは……。それは人に捕ってもらうこと。だから「サンマは人に捕ってもらえる海に行く」。これはサンマから聞いた本当の話である。
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 ●サンマの陰にクジラあり
   サンマが言うには「まずサンマはたくさんの海の御霊を抱えている」のだそうだ。御霊を我が身に抱え、その身を人にささげる。食してもらうことで自分も仕事をしたことになり、成仏できるのだという。要するに「捕ってもらわなければ仕事にならない」。
   ところがだ。日本列島周辺の海ではサンマはなかなか捕ってもらえない。代わりにそのサンマをクジラが食べてしまう。海洋生物の「食物連鎖の」頂点に立つのはクジラだから、食べられるのは仕方がないにしても、その数があまりに多すぎる。多すぎるから人に捕られる前にクジラに食べ尽くされてしまう。
     クジラの食欲は実に旺盛だ。人間が1年間で消費する水産物は9000万トンだが、クジラはその3~5倍を食べる。クジラを人間が捕獲し、一定量を食することは海の魚たちを守ることにもつながるわけだ。自然界は人間もその一員と見なして成立している。その人間が小魚は捕るのにクジラを捕らないという「不自然」な行動をとると地球の生態系の秩序を乱してしまうことがこれで分かる。
   事実、日本沿岸のサンマの量は減り続けている。水産庁によると今年の漁期(2015年7月~2016年6月)のサンマのTAC(漁獲可能量)は26万4000トン。前年よりも26%も減少、TAC制度が始まってから最も低い水準だ。TACの減少はそのまま値段にはね返り、東京・築地の平均で1キロ426円と5年前に比べ3割あがった。仮にミンククジラ、イワシクジラ及びニタリクジラを資源量の4%ずつ50年間捕獲したとするとアカイカの漁獲量はほぼ2倍に、カツオは30%以上、サンマも10%以上増えるとする調査もある。
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●爆食クジラの悲しみ
   ところで、サンマを「爆食」するクジラの方だが、日本が国際捕鯨委員会(IWC)への気兼ねなどから捕らなくなったものだから、さぞかしのびのびと暮らせて快適かと言えば、そうでもない。「クジラも仕事にならない」のだそうだ。「だから苦しくて自分から進んで砂浜に打ち上げられに行く」のだという。これもクジラから聞いた。
    クジラはサンマとは異なり深海で生息する。海深く眠る御霊を身に抱え、人に捕ってもらい食されることで、やはり仕事をして成仏する。しかもクジラは海の深い所にいるから抱える御霊も胎蔵界のものが多く、クジラを捕り食するということで、こうしたやっかいな御霊たちを処置することができる。しかし、日本はどんどんクジラを捕らなくなって仕事がなくなり、失業クジラが日本近海で急増しているというわけだ。
 
●SUN(サン)マと国力
    日本がこのまま水産資源の健全な保護・育成を真剣に考えないまま進めば、いずれ国力は落ちる。サンマ漁も捕鯨も日本人にとっては貴重なたんぱく源であると同時に、この国の先行きを阻む御霊の整理に資する。この国の先行きを左右する見落とせない問題なのだ。
    サンマはSUN(サン)マ。太陽国、ニッポンの重要な魚なのだ。クジラもやはりそうだ。そのサンマやクジラを食することを通しての供養を怠れば、御霊が停滞し国の行く末を危うくすることは間違いない。
   ここで日本は堂々と捕鯨の道を選択しなければならないが、問題を難しくしているのが調査捕鯨の存在だ。日本は調査捕鯨という名目で年間1000頭以上、クジラをとり、その肉を販売している。日本捕鯨協会はこれを「調査の精度を上げるため」としているが、この説明では「疑似商業捕鯨だ」との批判をかわしきることは難しい。むしろ摩擦は覚悟で正々堂々、商業捕鯨だと主張し、それでも理解が得られないならIWCを脱会すればいい。少なくともその覚悟は欲しい。その程度の勇気と気概がなければ日本の捕鯨という伝統文化は守れないし、SUN(サン)マの国、太陽国ニッポンの将来もまた危うい。(了)
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山は動かぬと誰が決めた

 「バーナムの森が動かない限りあなたは安泰だ」。シェークスピアの4大悲劇の1つ「マクベス※」で主人公である王マクベスに予言者が語った言葉だ。マクベスはこの言葉で自らの治世(ちせい)の永遠が約束されたと確信したが、結果は違った。森は動いたのだ。マクベスは自暴自棄となり最後に敗死する。そんな悲劇が今、この日本でも起ころうとしている。九州電力が8月に再稼働させた川内原子力発電所だ。九電は「山(桜島)は動かない。原発は安全だ」というのだが。「山は絶対に動かない」と誰が決めた?金龍の頭に火が入ったこの時代に……。


九電川内原発、再稼働へ

 9月10日、九電川内原発1号機(鹿児島県)が営業運転を始めた。国内原発の営業運転は2013年9月に大飯4号機(福井県)が停止して以来、2年ぶり。このまま行けば川内原発2号機も最短で10月14日には再稼働する見通しだ。これにより、九電は2015年4~9月期の連結最終損益が450億円の黒字(前年同期は359億円の赤字)になる見通し。瓜生道明社長は「電気料金を上げない」ことを表明、原発の再稼働が一般家庭に恩恵をもたらすことを印象づけた。

 川内原発の再稼働は単に九州という1地方の問題ではない。この2年間沈黙を強いられてきた電力業界がようやく「原発稼働ゼロ」の壁に風穴を空けたことを意味する。原発ゼロの暗闇に画期的な火を九電がともしたのだ。

 不思議なことに原発の火はいつも九州からともる。プルトニウムウランを混ぜて原発で燃やすプルサーマル発電も2009年11月、九電が全国で先陣を切って玄海原発佐賀県)で始めた。プルサーマル発電に使用するMOX燃料にはウランの10万倍のアルファ線を発するプルトニウムが含まれる。このため、危険度は通常の原子力発電に比べ格段に増すが、その危険なプルサーマル発電を東京電力関西電力を差し置き、九電がやってのけたのだ。

 こうした経緯もあって電力業界のなかで九電は特別な立ち位置にある。少なくとも単なる地方電力のポジションにはとどまっていない。東電、関電、中部電力という中3社と呼ばれる中核企業をサポート、業界の苦境を打破するリーダー的な役回りを与えられてきた。九電にもその自負はある。だから今回も急いだ。ひな型をつくろうとつっぱしった。再び原発稼働は九電を起点にドミノ式に全国に広がり、原発はベース電源としての地位を復活させる動きに入った。九電は見事に先鋒を務めたと言える。


●金龍神が動き出す

 ただ、九電が先駆けたおかげで、このまま原発は再びかつての地位を取り戻すのかと言えばそれは難しい。日本列島という金龍神体が活動期に入った今、それは許されない。とりわけ、問題なのは山だ。今回、象徴的だったのは桜島で、九電川内原発が稼働を始めるとともに活動を活発化させ、噴火警戒レベルは「4」にまで上昇した。とりあえず落ち着いてはいるものの、これを偶然と片付けてしまうなら、原発を運転する資格はない。

 そしてもっと資格がないのは原子力規制委員会だ。この委員会では「火山影響評価ガイド」を定め、原発の運用期間中に巨大噴火が生じる可能性が十分に小さいとする根拠を示すよう求めている。それなのに今回は、その議論はほとんどないままに、川内原発の再稼働を認めている。火砕流原発に到達する前に核燃料をどう搬出、安全な地点にまで搬送するのか、間に合わなかった場合に原発は安全なのかどうか、など根本的な議論をしないまま、原子力規制委員会は再稼働を認めているのだ。いたいこの規制委員会は何を規制しているのだろうか。

 かつて九電プルサーマル発電を推し進めようとしていたころ「原発は本当に安全なのか」の問いに対して、「それは電力会社が関知する話しではない。プラントメーカーに聞いてくれ。うちはただ、運転しているだけだ」と答えたことがある。そして「あなたは、自分の車が安全だと自分で証明できないのに、車を運転しているでしょう。それと同じだ」と続け、さらに「こう説明すればあなたでも理解できるでしょう」と返してきた。その無知と傲慢さと無責任ぶりには驚くばかりだが、こうした電力会社が日本のエネルギー政策をになっているのが現実である。この暴挙に歯止めがかからないはずはない。

●山は動く

 九電は桜島が川内原発の稼働に「いささかの影響を与えることはない」とスタンスを崩そうとはしない。しかし、人知を越える火山の噴火の可能性を1電力会社が、断定することなど不可能だ。川内原発と桜島との距離はわずか50キロメートル。実際、川内原発の敷地内には2万8000年前、桜島ができる起源となった姶良大噴火の火砕流が流れ込んだ痕跡があり、再び桜島が噴火すればその火砕流が簡単に原発の敷地にまで入り込むことは立証ずみだ。

 マクベスは木の枝を隠れ蓑にして進んでくるイングランド軍を、森と見間違え「森が動いた」と錯覚した。「森が動かない限り安泰だ」という予言者の言葉の裏付けを失ったと思い込んだ。人は常に間違える存在なのである。マクベスのように。

 しかし怖いのは原発はこうした人間の間違えを許さないことだ。ほんのささやかな小さなミスも見過ごさず、つけいり、傷口を広げ、放射能を排出する。絶対性を必要とする原発を、相対的な存在である人間がコントロールすることは不可能だ。皮肉なことにこのことだけは絶対である。
 そのタブーに九電は再び挑もうとしていることに気がつかなければならない。今、まさに起き上がろうとしている金龍神体の頭の位置で。その試みの愚かさはいずれ明らかになるはずだ。警告しておく。「森(山)は動く」――。(了)
『丘の上から近づくノーサンブリア軍を眺めるマクベス』《ジョン・マーティン作》

※「マクベス」(wikipedia)より……
 『マクベス』(Macbeth)は、1606年頃に成立したウィリアム・シェイクスピアによって書かれた戯曲である。勇猛果敢だが小心な一面もある将軍マクベスが妻と謀って主君を暗殺し王位に就くが、内面・外面の重圧に耐えきれず錯乱して暴政を行い、貴族や王子らの復讐に倒れる。実在のスコットランドマクベス(在位1040年–1057年)をモデルにしている。《詳細はこちら↓》
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%99%E3%82%B9_(%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%94%E3%82%A2)

禁断のイチジク、花は安倍の〝実〟内で咲く

自民党安倍晋三首相(党総裁)の総裁再選を決めた。消費増税マイナンバー制導入、そして安全保障関連法の成立……。いずれも戦後日本の路線を大きく転換する政治的な決断だ。それを成し遂げた安倍首相はこれから3年という時間を手に入れ、「次は憲法改正」と打ち上げた。華々しい、実に華々しい――。それなのに不思議に花は見えない。まるでイチジクのように。

●折り込みずみの支持率低下

 日本が攻撃されていなくても戦闘に参加できる集団的自衛権の行使を認める安全保障関連法。最高裁内閣法制局関係者からの「明白な憲法違反」という批判を押し切った強引な法制化だっただけに、安倍政権も相当な体力を消耗した。各新聞社やテレビ局の調査でも5~10ポイント支持率を下げ、支持率30%台に突入した調査もある。
それでも支持率30%台は「黄色信号」の範囲内。「安全保障関連法」を強行すれば支持率が低下するのは予想された結果で、政権側も「これなら想定の範囲内」だろう。アベノミクスの名のもとに年間80兆円もの国富を市場(マーケット)に投入、官製相場で株価の急回復を演出し支持率を上げてきたのも、今回の強行採決に備え「のりしろ」を作っておくためだったと言える。

安倍政権にとってみれば「さて、これから再び支持をどう取り返すか」ということだろう。それを証拠に安倍首相が正式に再選された24日、「アベノミクスは第2のステージに移る」として経済最優先の政権運営を進める考えを表明、その骨格となる新たな「3本の矢」を発表した。それぞれの矢に「希望」「夢」「安心」の3つのキーワードを刻み、国民に示してみせたが、この3本の矢はいったい何を射抜こうとしているのか。本当に花は咲くのか。少し検証してみよう。

●日本版エンクロージャーが始まる

 まず、1本目の「希望を生み出す強い経済」。2014年度に490兆円だったGDP(国内総生産)を600兆円にまで引き上げるという。そのために女性や高齢者、障害者の雇用を拡大、日本全体の生産性を引き上げる計画で、安倍首相は「1億人が活躍する社会を実現する」と表現した。

 何とも不気味ではないか。まるで15世紀以降、英国で起こったエンクロージャー(囲い込み)をイメージさせる。毛織物工業がさかんになった英国で、羊を飼育するために農地から農民を追い出し、あふれた労働力が工場に追い立てられた。同じように日本でも家庭から主婦やお年寄り、体の不自由な人がオフィスや工場に追われ、そこに外国人やロボットが侵入してくる社会が来るのではないか。
おりしも国民に総背番号をつけるマイナンバー制度が導入される。一人ひとりの生産性がガラス張りにされ、GDPに貢献しない国民の居場所はないというのだろうか。

確かに英国で農地を追われた農民が後の産業革命を支えたとする学説はある。しかし、家庭から追い出した女性や高齢者、障害者を使って今さらに日本でどんな産業革命を起こそうというのか。「希望を生み出す」どころか「失う」内容である。

●「家」がほころぶ

 2本目の矢は「夢を紡ぐ子育て支援」。現在1・4程度の出生率を1・8にまで引き上げるのだという。幼児教育の無償化はいいとして、ここで気になったのは「ひとり親家庭の支援」に言及したことだ。もちろんひとり親の子どもも平等に教育を受け、健やかに育つ環境を整えてもらう権利はある。ただ、これをわざわざ子育て支援として公式に表明するとなれば意味合いが異なってくる。事故や災害で両親のいずれかを失った子どもはともかくとして、親であることの自覚の薄い「シングルマザー」(シングルマザーがおしなべてそうだという訳ではないが)も国が「どんどん支援しますよ」というのはいかがなものか。国のもととなる「家」「家庭」の崩壊を助長することにはならないか。

 最後の3本目の「安心につながる社会保障」という矢はどうか。高齢者の介護のため、会社を辞める「介護離職」をゼロにするという。確かに目標は立派だ。結構なことではある。しかり、どうやって実現するのか。財源はどうする。要介護度3以上で特別養護老人ホームなどへの入所を自宅で待つ待機者は現在でも約15万人いる。さらにこうした人々の数は加速度的に増えていくというのに、介護のための人材は慢性的に不足、仮に確保できたとしても、そうした人たちを雇うための財源を国は持たない。石油など資源開発で国がいっこうに稼ごうとしないためだが、結局、ゴリ押しすれば一段の消費増税で、若年層に負担をつけ回すだけになってしまう。こんな画餅を国民が信じるとでも思ったか。

●「実の内」で花は咲く

 こう考えると、この3本の矢で国民の生活に花は咲きそうにない。仮に咲くとしても、継続される金融緩和の恩恵を受けられる富裕層、輸出余力のある大企業のトップ層など安倍政権の身内ばかり。つまり花はまるでイチジクのように安倍政権という「実」のうちでこそ咲くのである。

 安倍晋三首相は24日の記者会見で「憲法改正は党是だ。改正に支持が広がるように与党において、自民党において努力を重ねていく」と述べた。2016年夏の参院選でも「公約に掲げていくことになる」と話した。「希望」「夢」「安心」の政策で経済を浮揚させ、「平和」のため憲法を改正するという安倍政権。これを国民はどう評価するのか。問われているのは国民である。

 旧約聖書の創世記では「エデンの園で禁断の果実を食べたアダムとイヴは、自分たちが裸であることに気づいて、いちじくの葉で作った腰ミノを身につけた」とある。ここから禁断の果実はイチジクであるとする説があるそうだが、まさにこのイチジクを食らうのか、食らわないのか。来年の参院選はそのことが問われている。(了)



※『楽園のアダムとイブ』
17世紀初頭のフランドル絵画の巨匠ヤン・ブリューゲルと大画家ピーテル・パウルルーベンスによる共作の中で最も傑出した作品のひとつ。

安保法案とサンマ1匹のリアリズム


 
安全保障関連法案が参院本会議で成立した。これにより日本が直接、攻撃を受けなくても米国など同盟国が他国から攻撃を受けた場合、日本が加勢し共同で反撃することができるようになる。日本が米国から一方的に守ってもらうだけの「片務性」が解消され、日本も米国を積極的に支援することが可能になる。「守り、守られ」――。日米関係は緊密になり、結果的に国際社会での日本の発言権が増すというのだが、中国に奪われたサンマを1匹奪い返せない現実を政府はどう説明するのか。

 ここで肝心なことは今回の法案成立は日本が戦後、貫いてきた安保政策の転換だったということだ。集団的自衛権の行使を認める今回の法案成立は、300万人以上もの人々の命と引き換えに日本が手に入れた戦争放棄をうたった「日本国憲法9条」と真っ向から対立する。

●政治はリアリズム

背景にあるのは自民党を中心とした政治家たちの「政治はリアリズム」との考え方だ。最高裁判事をはじめ司法関係者が安全保障関連法案を違憲と判断するなかで「法律上の考え方は分かった。しかし、責任政党として国を守るのは自分たちの役目だ」という思いが彼らの今回の強引な法案成立を下支えしている。

 実際、中国との関係は緊迫している。「違憲だ、合憲だ」と青臭い書生論を振り回している間に尖閣諸島実効支配され、日本という国家が切り崩されてしまっては元も子もない。憲法改正を目指した祖父・岸信介元首相の意思を受け継ぎ、リアリズムで国を守ろうとする安倍晋三首相の責任感は分からないでもない。

 しかしだ。政治をリアリズムと主張するなら、現実は正確に見なければならない。何よりもまず日本は、戦後70年かけて世界のなかでようやく築き上げてきた「不戦国家、日本」との信頼感をかなぐり捨ててまで、米国に尽くす価値があるのかを精緻に考えてみる必要がある。

 日本が理解しておかなければならないのは、すでに中国により日本は主権を蹂躙されているということだ。尖閣諸島海域に不審船を送り込み、複数回にわたって日本の領海を侵犯していることは主権の蹂躙に他ならない。にもかかわらず同盟国である米国は1㍉たりとも動いてはいない。気まぐれに政府高官のコメントを発表するだけのことだ。片務的に米国が日本を守ってくれるだけ、ということの方が書生論であり、まったくの机上の空論だということに気づかなければならない。これこそがリアリズムだ。

もっと言えば日本が、蹂躙されたのは領海権だけではない。2014年、福田康夫元首相が北京を訪問する少し前のことを思い出してもらいたい。尖閣諸島周辺海域に中国の鯖漁船が不法に侵入、サンゴを強奪していった際、米国は沈黙したままだった。習近平氏との会談をちらつかされた日本は萎縮し、いつもの「遺憾の意」を表明するだけだったが、この時、日本の領海権は侵犯され、国富は奪われていたのである。

●奪われた日本のダイヤモンド

 ちなみに中国が強奪していった赤サンゴは日本珊瑚商工協同組合よると2014年は根が付いたものなら1キロ660万円とダイヤモンド並みの価格。根が折れたりして枯れた状態のものでは130万円だったという。領海にあいさつもなく入ってきた隣国に、これだけの国富を奪取されれば、すでに立派な主権の蹂躙である。自国の鉱山に無断に分け入り、ダイヤモンドを採掘していった隣国に黙っている国はどこにもないだろう。もし、今回のようなことが日本でなく英国やロシアの海域で行われたならすぐさま戦争行為に発展することは間違いない。

 ただ、ことがサンゴなら庶民にとって実害は少ないかもしれない。しかし、サンマならどうだろう。先般、この琴言譚で、太平洋を北上してくるサンマが日本近海に到達する前に南の公海で中国と台湾の乱獲にあい激減している実態を紹介した。泳ぐサンマは公共財なのにこれを1国の漁船が我が物顔で独り占めし、他国の利益を侵害することは許されない。特にサンマは庶民の活力となるたんぱく源であるだけに意外に侮れない問題でもある。そのサンマを中国に強奪されたまま放置すれば、いずれ日本の国力はそがれ経済力は落ちる。

一見、小さいが見過ごすことのできない重要な問題なのだ。この問題を政府はどう解決するつもりだろう。9月3日に東京で行われた北太平洋漁業委員会の初会合では「急増する中国漁船の隻数を制限して欲しい」との日本側の主張を中国側は完全に無視した。

これを解決するために、集団的自衛権行使の見返りとして、米国から中国に対し「そのサンマ、日本に少し譲ってやってもらえないか」と交渉してもらうのだろうか。中東紛争に自衛隊を派遣し、そこでの犠牲を代償にサンマを回してもらうのだろうか。人を失う代わりいサンマを得るのか。それこそ世界の笑いものである。

人や企業の「グローバル化」は安倍首相の十八番である。ならば日本国のグローバル化はどうしたのだ。日米同盟の枠に閉じこもり、自ら1人で世界を相手に交渉しようとしない日本のグローバル化こそ遅れているのでないのか。サンマ1匹ままならないのに、世界貢献も何もないというものだ。(了)

サンマが見限る経済大国



 秋の味覚「サンマ」が異常だ。初競りで1kg7万円の最高値を付け、その後も値段がなかなか下がり切らないのだ。9月に入っても平均産地価格は前年同時期の3倍近くにあたる600円程度。東京・築地でも900円(中心値)と高値だ。中国や台湾の乱獲で日本近海でのサンマが激減、奪い合いの状況が続く。さらば庶民の味……。衰退する経済大国にはサンマも寄りつかない。
 
あはれ 
秋風よ
情(こころ)あらば伝えてよ――

「秋刀魚の歌」で佐藤春夫谷崎潤一郎の妻との道ならぬ恋に苦悩する孤独を詠ったが、その恋の寂しさを演出する道具として使ったのがサンマ。確かに「秋風」、「許されぬ恋」、そして「サンマ」とくれば心にまで冷たい風が流れこんでくる心持ちになるが、そのサンマも1尾2300円ともなれば、様子が違ってくる。



●中国、台湾が公海で先取り

いったい何が起こっているのか。最大の原因が中国と台湾の公海でサンマの乱獲だ。公海はどの国にも属さない海だから、操業を縛る規制は存在しない。それをよいことに経済成長で中間層の所得が上昇してきた「爆食」の中国や台湾が日本の5倍もの1000トンクラスの大型漁船で獲りまくっているのだ。

通常、秋になるとサンマは太平洋を経て日本海に近づく。日本漁船は近海の排他的経済水域EEZ)にサンマが回遊してくるのを待ち、これを捕獲してきたが、その前に中国や台湾が先取りしてしまうのだ。日本のサンマ漁はさっぱり奮わない。2008年の34万3225トンをピークに減少が続き、2013年には14万7819トンとピーク時の半分以下にまでなってしまった。

半面、漁獲量が急増しているのは中国と台湾。中国の漁獲量は2014年までの2年間で約38倍の7万6000トン。台湾はさらにこれよりも多く、日本を上回る水準にまで増えている。

●日本を見限る台湾

問題なのは中国よりも台湾だ。台湾が獲ったサンマはまずは自国に振り向けるが、それでは当然、消費しきれない。その分を日本ではなく中国に持ち込んでいるのだ。冷凍にしたサンマのほか缶詰にも加工、国内総生産(GDP)で日本を抜き世界第2位の中国に輸出している。水産業者は価格はもちろんだが安定的に消費してくれる市場(マーケット)に卸したいのが本音。そういった意味では台湾の水産業者に日本よりも中国のほうが魅力的に映っているのは確かだ。

たかがサンマ、されどサンマ。ささやかな秋の楽しみが遠ざかった庶民にとっては寂しい出来事だが、日本がアジアの近隣国に見限られている証左なのだとすれば、さらに寂しい話しでもある。高騰するサンマに佐藤春夫も眉をひそめているかもしれない。(了)


※『佐藤春夫』《Wikipediaより》…https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E6%98%A5%E5%A4%AB



日中ガス田、日本はこうやって掘れ

 緊迫感を増す日中ガス田共同開発問題に解決の糸口はあるのか。答えは「イエス」だ。「共同開発」することである。中国が話し合いのテーブルにつきもしないのにどうやって共同で開発するのか、との疑念をお持ちの方も多いだろう。しかし、できるのである。日中双方の海岸線から等距離の地点を結んだ日中中間線から日本側に1・5キロメートル入ったところで掘削し、これを「共同開発」と主張すればよいのだ。

日本経済新聞2015/7/23より』※

●中間線から1・5キロに「解」あり

ポイントはこの1・5キロメートルという距離だ。この距離は中国が日本との取り決めを無視し、掘削作業を進めている春暁(白樺)と日中中間線の距離。この同じ距離だけ日中中間線から日本側に入り込んだところで日本側も掘れば良いのだ。

中国側は日中中間線をはみ出してきているわけではない。「その点では決して日本を完全に無視はしていない」。同程度の配慮を日本も中国にしたうえで、日本側の領海で日本も中国同様に掘削すれば、全くのイーブンであり、中国側も抗議のしようがない。

仮に抗議があっても2008年6月の日中ガス田合意に基づき「共同開発しているだけ」とすれば、中国もそれ以上は文句のつけようがない。なぜなら中国自身がその理屈で「共同開発」しているからだ。

中国側は日本と共同開発で合意した白樺ガス田を単独開発進めていることについて「中国は白樺(中国名、春暁)ガス田の完全な主権と管轄権と持っており、中国側の白樺(中国名、春暁)での活動は完全に道理にかない合法だ」と主張している。日本はその中国の理屈を逆手にとれば良いのだ。
日本は中国に抜かれたとは言え、国内総生産(GDP)で世界3位の経済大国。しかも、1979年から中国に対して3兆円ものODAを実施している。その中国に対し、この程度の主張を通せなければ、日本の外交力はないに等しい。

もちろん摩擦はあろう。しかし、ある程度の摩擦は覚悟する必要がある。2008年6月の日中ガス田合意によると、白樺プロジェクトなどは日本法人が中国の開発企業に出資、出資比率に応じて日本が利益を配分してもらうことになっている。開発の主体は中国に任せ、稼ぎの一部を「お裾分け」してもらう取り決めは、スタートからして弱腰だが、それすら完全に無視されている現状にあっては、もはや黙認しているわけにはいかない。今、この瞬間にも中国は石油を掘っているのである。

日本は謙譲の美徳を重んじる国柄だ。しかし、ここは譲る局面ではない。譲ればあまりに巨額の国富が消失してしまう。

尖閣諸島周辺にイラク級の油田

その国富の巨大さを示す1つの証拠がある。1969年5月に国連・アジア極東経済委員会(ECAFE)の報告書だ。ここで1968年10月から11月末での間に東シナ海海底の調査を行った際の報告書で、「台湾と日本との間に横たわる浅海底は将来、世界的な産油地域となるであろうと期待される」と指摘しているのだ。報告書にある「浅海底」は尖閣諸島周辺の海のこと。ほぼ現在、中国が石油を掘削している日中中間線周辺エリアとつながっていると見ていい。日本側の調査によると尖閣諸島周辺海域の原油埋蔵量は1095億円バレルに達するといい、世界第2位の産油国であるイラクに匹敵する規模の油田が、ここに眠っているわけだ。

いずれ尖閣諸島周辺の油田開発は日本国の重要課題となるのは当然のことだが、尖閣諸島の巨大油田を守るためにも、今の白樺など日中共同ガス田開発で譲ってはならない。譲れば、「日本は弱腰」とみた中国側がさらにつけ込み、巨大油田のある尖閣諸島の「本丸」まで一気になだれこむ。中国への防波堤を築く意味でも、この共同ガス田開発で競り負けてはならない。
ただ、重要なことは米国をアテにできないということだ。米国が本当に日本の権益を守る気があるなら、すでに守っている。なにしろ、米国は大量破壊兵器を理由に「自衛」と称してイラクを先制攻撃、10万人を超える市民を犠牲にする国である。仮に本気なら中国が日本との「共同開発」の協定を破り16基もの石油掘削拠点を設けるのを黙ってみているはずはない。中国が日本の領海を侵犯、石油を盗み取るのを黙認しているとみるのが国際常識だろう。

●INPEXが新潟で油田開発

いずれにしても今、日本がこの閉塞感を打ち破るには、エネルギー問題に腰を据えて取り組む必要がある。それには「日本は無資源国」という古い常識を疑ってみることだ。

例えば今年4月、国際石油開発帝石(INPEX)が新潟県新潟市秋葉区で油田開発に成功している。これは単なる偶然か。地方都市とはいえ、市街地のなかから1日あたり300~380バレルの原油が産出される国が世界中のどこにあろうか。2017年度からは生産量をこの3倍の1日900~1140バレルにまで引き上げる計画だといい、東シナ海の日中ガス田共同開発にすがらなくても、エネルギー大国日本への道はすぐ足元にある。日本は決して無資源国ではないのだ。

それを証拠にこの国際石油開発帝石が油田を発見した「新潟県新潟市秋葉区」では2013年4月、住民の敷地内から石油とガスが噴出するという事件が起きている。石油は2015年9月の現在も住民の家の敷地内から石油は少なくなってきたものの天然ガスは噴出し続けており、この地域一帯に石油を含んだ層が広がっている可能性は高い。

今、政府では再来年の消費税引き上げ議論が佳境に入りつつある。消費が冷え込まないよう生活必需品の増税分についてはマイナンバーを使って還付するなどの案も浮上しているが、その額数千円と聞いて何だか興ざめである。そんな、ささやかなお金の還付問題を延々議論している暇があれば、石油を掘ってみればどうか。石油のお金で財政は再建、「消費税はゼロで結構」となるはずだ。(了)

※【参考:「中国、ガス田開発着々 日本は中止求める 」2015/7/23 日本経済新聞より】
http://www.nikkei.com/news/print-article/?R_FLG=0&bf=0&ng=DGXZZO76056900T20C14A8000048&uah=DF_MATOME_____

1粒3000億円の生ガキ、新国立競技場は安保の生贄



東京五輪の主会場となる新国立競技場の建設計画の練り直し作業が急ピッチで進み始めた。建設費の上限は今のところ1550億円程度。7月に白紙となった最終計画案で、その1・6倍の2520億円と見積もられていた数字は「いったい何だったのか」という疑問が湧くのは当然だ。ゼネコン(総合建設会社)と自民党政権との癒着となれ合いがまたも法外な公共工事を生み出したのか、という気にもなるが、実は今回はそうではない。この土壇場での白紙撤回こそが安全保障関連法案の採決のため3年も前から用意されたシナリオだった。建設計画は覆されるために作られた。

 「僕はもともと、あのスタイルは嫌だった。生ガキみたいだ」――。

新国立競技場の計画白紙が決まると五輪組織委員会の会長、森喜朗元首相はあっさりこう言い放った。森氏は新国立競技場を旧計画の「生ガキ」のままで実行することにもっとも固執した人物。しかし、いざ白紙撤回が決まってしまうとベテランの政治家らしく世論の風を読み、さっさっと切り替えてしまった。

 もともと森氏が旧計画どおり新国立競技場を建設することにこだわったのはラグビーワールドカップ(W杯)があるからだ。生ガキみたいなデザインにこだわったわけではない。W杯は東京五輪の1年前に開催することが決まっており、その会場に新しく建設する新国立競技場を振り向けようと考えていたのだ。森氏は早大ラグビー部出身でラグビー人脈も太い。W杯を東京五輪よりも前に新国立競技場で開催できれば、森氏の存在感も俄然(がぜん)、高まる。にもかかわらず建設計画が見直されることになれば、一からやり直しで、新国立競技場の完成はギリギリ、五輪に間に合うタイミングになる。五輪の1年前のW杯にはとても間に合わない。激しく抵抗したが、最後は安倍首相に「建設には巨額な金額を投入することが避けられない。あきらめてください」と説得されてしまった。


 
確かに安倍首相の言う通り、当初案通りの建設計画ではお金がかかり過ぎる。当初、1300億円の予算で予定されていたが、それが2520億円にまで膨れあがるとなれば国民の支持は到底、得られない。08年の北京五輪のメーン会場が約550億円、ロンドン五輪が約600億円でその4倍ものお金がかかるメーン会場の建設が「コンパクト」を売りにする東京五輪で認められるはずはない。その意味では安倍首相は英断を下した。ただ、不思議なのは決定がなぜ、ここまでもつれ込んだのかということだ。



森氏の反対も逆風ではあっただろう。しかしそれは1つの要因に過ぎない。「デザインありきで、設計や構造計算が後回しになってしまい、建設費を割り出すのに時間がかかってしまった」というのが表向きの政府見解だが本当にそうか。東京都の舛添要一知事は「本来、1年前にやっておくべきこと」と言うが実際、遅すぎる。

関係者の証言を総合し詳細に検証してみると、3000億円でも建設できないことは1年前はおろか、デザインが決まった3年前の段階で判断できたことが分かってきた。

それでは安倍首相が発表を3年引き延ばした理由な何か。

なぞを解く鍵は計画を白紙撤回したその前日、7月16日にある。この日、国会では最大の焦点である安全保障関連法案が自民、公明両党の賛成多数で衆院本会議で可決され、衆院を通過しているのである。集団的自衛権の行使を認める内容で、これで戦後の安保政策は大きな転換点を迎えた。世論の大半の反対を押し切っての採決は、安倍政権への反発を強め、支持率も大きく低下させた。建設計画の白紙化はその翌日の発表だったのだ。

集団的自衛権の行使をどうしても可能にしたい安倍政権は法案を通せば支持率が低下するのは承知のうえ。折り込んだうえで、法案を通した。そしてその直後に建設計画の白紙撤回をぶつけたのだ。ここでリーダーシップを示すことで支持率を再び底上げし、9月に控える参院通過のための追い風としたのだ。

そのために安倍政権新国立競技場の白紙撤回という隠し玉を3年間温存させた。そのことを証明したい。日本スポーツ振興センター(JSC)は2012年7月、新国立競技場デザインの国際コンペを実施、そこで選ばれたのがイラク出身の建築家ザハ・ハディド氏のデザインだった。建築家、安藤忠雄氏が審査委員会の委員長を務め、ザハ氏のデザインを「非常にダイナミックで斬新なデザイン」と評価、最後まで残ったザハ氏の案とオーストラリアと日本の設計事務所の案の3つのなかからザハ氏のデザインを選んだ。ただ、安藤氏はこの時、「私たちが頼まれたのはデザイン案の選定まで」で、「徹底的なコストの議論はしていない」。


もちろん1300億円という予算が決まっているなかで、その枠内に収まるかどうかをよく検証もしなかった安藤氏は批判を免れることはできないだろう。一方で安藤氏は独学で建築を学んだ建築家に過ぎない。設計士でもないし、建築を請け負うゼネコンで勤めた経験もない。つまりデザインの善しあしは分かるが、それをつくるのに何が必要で、どれだけの資材や人を使い、どれほどのお金が必要になるのか、計算する力は持ち合わせていない。

 ただ、安藤氏ほどの人ですら建築費が分からなかったのだから、だれも分かるはずはないと考えるのは早計だ。確かにデザインが決まった段階で、図面すらなく構造計算をすることは難しい。しかし、ある大手建設会社の幹部は「日本の建設業界のなかにはあのデザインなら3000億円はゆうに超えることが分かる人間はいたはず」と証言する。3年前の2012年11月、コンペを経てザハ氏のデザインが選ばれた時点で到底、1300億円の枠では収まり切らないことは瞬時に判断できたというのだ。

その根拠とはこうだ。ザハ氏のデザインの最大の特徴はキールアーチ。2本のアーチを天井部分に通し、これで屋根を支える形になっている。このキールアーチこそこの建物の生命線なのだが、そもそもこれほどの巨大なアーチを天空につくりあげることは可能なのだろうか。

建設の専門家に言わせれば、建設は可能だという。長さ370メートルの巨大な橋を競技場の上空に建設すると思えば机上の計算では成り立つ。米サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジを競技場の上に建設すると思えばいいわけだ。

通常、あのクラスの橋をつくる場合、4~5分割するケースが多い。事前にピースをドッグでつくっておき、建設現場まで船で運び、組み立てていく。ただし、新国立競技場は陸上に建設するのだから、船は使えない。トラックで運ぶことになるが、そのためには40ピース程度に分割し長さ10メートル単位にしてトラックで運べる大きさにまで小さくする。ただ、仮に10メートルにまで細分化しても今度はその重さがネックになる。長さ10メートルのコンクリートのブロックだとすると重さは30トン。ダンプカーは最大積載重量が7トンだから少なくとも4台程度のダンプカーを連結し、運ぶしかない。

では4台連結し、30トンもの重さのブロックを積んだダンプカーをいつ走らせるのか。仮にすべての道路がダンプカー4台を連結して走行できる道幅があるとしても昼間はとても走れない。夜間に道路を完全に封鎖し警官を総動員し運ぶのである。しかも40ピースだ。


《※イメージ画像》

コンクリートブロックが無事、建設現場に到着した後は、40トンの巨大なコンクリートブロックを空中でつなぎ合わせていく作業が待つ。ちなみにコンクリートブロック1つの断面積は80平方メートル。ファミリータイプのマンションの平均面積よりも広い。その断面積のコンクリートブロックを空中で擦り合わせ中に組み込んだ天骨や鉄筋を1本ずつ溶接していくのである。熟練の溶接工が何人必要になることだろうか。

こう考えていくとキールアーチは理論的に建設は可能だが、1本で少なくとも1000億円はかかる。2本で2000億円。JSCの最終案(2520億円)でスタンド部分は1570億円と見積もられていたが、ここから考えても3000億円では到底、収まらない。もちろん崩落事故などのアクシデントがまったく無かったと仮定した場合でもだ。

マスコミでは資材や人件費の高騰により、時間が経過するとともに建設費が高騰したとの報道がなされているが、決してこれは真実ではない。デザインが決まった段階で、1300億円の枠は超えていた。「ゼネコンがふっかけた」わけではなく最初から3000億円超なのだ。

この事実を安倍政権は早くから把握していた。

100億円単位では分からなかったにしても1000億~2000億円単位では収まらないことはわかっていたはずだ。それを土壇場まで隠し通したのは、首相が「見えを切る」タイミングを「安保法案を採決した後」に設定していたからだ。安倍首相が英断を示す見せ場をつくり、安保法案採決で低下した支持率を底上げするシナリオを描いていたのだ。

もくろみ通り、今のところ支持率は危険水域への突入を免れている。安倍首相は小泉純一郎政権の幹事長を務めた人物。小泉氏は「自民党をぶっ壊す」ことを掲げ「敵対勢力」と戦うポーズをとり「構造改革」を演出した。しかし、実際にぶっ壊したのは旧経世会と関係の深い団体ばかり。

そのなかで建設業界、とりわけゼネコンは叩けば叩くほど、支持率が上がることを安倍氏は目の当たりにした。選挙の総責任者である幹事長という立場から、建設業たたき、公共工事費削減が票になることをデータで徹底的に学んでおり、新国立競技場問題が支持率回復の切り札になることを早くから直感していたのだ。

それを証拠に旧計画では文部科学省とJSCという建設に全く知識のない素人集団に仕事を一任している。首相自身も全く関与していない。ところが、いったん叩いてからは関係閣僚会議を結成、議長に五輪相、メンバーに専門家の国土交通相と予算を牛耳る財務省を加えた。そして何より首相自身も新たに参画、オールジャパンの体制をしいた。最初からひっくり返すつもりの「卓袱(ちゃぶ)台」には何も置かず、ひっくり返した後にご馳走を並べたわけだ。

森氏も同様だ。W杯を理由に旧計画で新国立競技場の建設を主張、そして土壇場で安倍首相に説得されるという役回りを演じている。安倍首相の「見事な引き立て役」なのだ。説得されるために、あえて「生ガキ」みたいな新国立競技場の建設を主張したと見ていい。


いずれにしてもとんだ茶番である。2520億円が1550億円に。その差、約1000億円。この1000億円を捻出してくれた首相の英断を、国民はありがたがらねばならないのか。ちなみに黒田日銀総裁による金融緩和で年間にマーケットに投入された資金は80兆円である。

ウソは大きくつくのが鉄則である。地球の裏側まで同盟国支援という名目で、武器を携えていくための戦争法案を平和法案といいくるめる大きなウソ。国民の税金を80兆円も浪費しながら、世界同時株安で簡単に水泡と帰してしまう無謀を経済対策というウソ。わずか1000億円のコストカットで、国が滅びにつながる施策を繰り返す首相を支持するのはそれ以上のウソというものである。(了)

日中共同ガス田開発ーー夢は獏に食わせてしまえーー


日本の岸田文雄外相と中国の王毅(おう・き)外相が8月6日、マレーシアで行ったガス田開発の協議は完全に決裂した。東シナ海で中国が進めるガス田開発は本来、「日本と共同で進めることになっていたはず」というのが日本の主張。しかし、中国側が話し合いの土俵にあがってくる気配はない。時間は経過、中国単独のガス田開発は進む。追い込まれる日本。日本の針路はいかに……。答えは「共同開発の夢など獏(バク)※に食わせてしまえ」だ。
・獏(葛飾北斎画)

8月7日、閣議後の記者会見で財務相麻生太郎氏が気になる発言をしている。
靖国神社には「終戦記念日に行った記憶はない」。今月15日の終戦記念日に「靖国神社参拝に行かない」という意味だが、背後に中国への配慮があることは間違いない。
相も変わらず、中国に譲り続ける日本だが、肝心なところ解き放ってしまえば、主権国家として形は崩れる。
資源問題は靖国参拝同様、その肝心要なところである。

懸案となっている東シナ海でのガス田開発は、日中両国が2008年6月、東シナ海ガス田問題の解決を目指し、まとめた合意事項に端を発する。
合意内容とは、日本と中国が主張する領海のちょうど中間地点を結んだ日中中間線付近にあるガス田「翌檜(あすなろ)※」(中国名・龍井)周辺を共同開発区域とし、その他のガス田についても「共同開発をできるだけ早く実現するため、継続して協議を行う」というもの。

日本と中国は合意に基づき条約締結交渉に入ったが、10年9月の中国漁船衝突事件後に中断。再開のめどは立たず、中国による単独開発が淡々と進んでいる。

単独開発の拠点は翌檜だけではない。
日本政府の発表によると2013年6月以降に中国が建設した海洋プラットホームは12基。
その前にすでに4基が建設済みであったため、全部で16基ものガス田開発が、「日本と中国が共同で進める」としたはずの東シナ海で、中国単独で進んでいるのである。

今、この瞬間も中国は東シナ海で石油を掘り続けている。防衛省は「ゆゆしき事態」として、7月に入りこの16基の航空写真と地図を外務省のホームページ※に掲載、「けん制」を始めた。

もちろんこれをけん制とするのは日本側だけで、掘削は「主権の行使」(王毅外相)と主張している中国側にしてみれば、正当な開発行為をホームページで公開されたからといって何ら後ろめたいところはないというのが本音のところ。日本政府の対応は十分とは言えない。

とはいえ、日本政府もこれ以上、事を荒立てる予定はない。理由は9月3日に北京で開く抗日戦争勝利記念行事に安倍晋三首相が招かれる可能性があるからだ。

ここで日中首脳会談が実現すれば、細りつつある話し合いのパイプに復活の可能性が出てくる。中国が日本に勝利したことを祝う式典をありがたがって、わざわざ出向いていく日本の外交センスは情けない限りだが、世界第2位の経済力を持つ中国におもねりたい財界の意向を受けた安倍首相らしい判断でもある。
ただ、目の前の利に目がかすみ、本来、国として死守すべき石油資源をさらわれてしまっていては本末転倒である。財界栄えて国は滅ぶ。

そもそも2008年に合意した共同開発にしても実態はなにもない。一時は日本政府側が国際石油開発帝石などにプロジェクトへの出資も検討させたが、どのポイントをどう掘削、開発していくのか具体的な話しは全く進んでいない。それどころか、今や中国は南シナ海の南沙(なんさ)[英語スプラトリー]諸島※付近では岩礁を埋め立て、軍事施設を建設する勢いである。
アジアでの覇権を見せつけようと近隣諸国を圧し、拡大路線を志向するなかで、南シナ海に続く東シナ海で、対立関係にある日本とガス田を共同開発するなど夢の夢である。

岸田外相王毅外相との今回の会談で、ガス田開発は止められなかったが「ガス田を巡る協議は継続することで合意した」と外交の成果をアピールした。しかし、もはや実現可能性のない見せかけの合意に希望を見いだそうとすることは無意味である。まず、日本は中国との共同開発という幻想を捨てるべきだ。そこから次が始まる。今、その「次」が芽吹こうとしているのだから。


※獏(バク)⇨中国から日本へ伝わった伝説の生物。[Wikipediaより]
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%8D%8F

※[外務省HP]中国による東シナ海での一方的資源開発の現状↓
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/higashi_shina/tachiba.html

※翌檜(あすなろ)⇨ヒノキ科アスナロ属の常緑針葉樹。日本固有種。[Wikipediaより]
https://.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%8A%E3%83%AD

南沙諸島(なんさしょとう)またはスプラトリー諸島(Spratly Islands)⇨南シナ海南部に位置する島・岩礁・砂州からなる島嶼群である。岩礁・砂州を含む約20の小島(およそ島と言えるものは12)があり、これらの多くは環礁の一部を形成している。[Wikipediaより]
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E5%B6%BC

東芝と安倍、断ち切られた蜜月


東芝の不正会計処理事件は蜜月だった安倍政権との間にくさびを打ち込んだ。安倍政権と手に手を取り、政権の政策面を全面的に補佐してきた東芝の失墜は、アベノミクスの限界をさらけ出してしまった。東芝頼みの安倍政権は重要なエンジンを1つ失った格好だ。


「財界総理」と呼ばれ政治や海外への顔役となる経団連会長。現在は東レ榊原定征会長がその席に座る。売上高ではトヨタ自動車の10分の1程度の繊維メーカーの会長がトップとなったとあって「経団連の地位もかなり低下してきた」との見方もあるが、安倍首相自らが財界にすり寄る現状では、政府に対する発言権は依然、大きいものがある。

その経団連東芝は人材を輩出し続けてきた。1956年、第2代の会長となった石坂泰三氏、1974年から会長を務めた土光敏夫氏をはじめ、副会長、企画担当者、スタッフなどその時々に応じて必要な人材を東芝は送り込み続けてきた。
社員20万人、取引先2万2000社の巨大企業だからこそ成せる技と言えるが、東芝はその役回りを務めることで、投資に見合う十分な見返りも受けてきた。

例えば、安倍政権が重要施策として掲げるインフラ輸出。鉄道や空港などインフラに関連した製品やサービスを海外に売る成長戦略の一つで、政府は2020年までにインフラの輸出額を30兆円と10年比で3倍に増やすという。そのためにODA※をバラマキ、首相自らトップセールスを展開するが、これなどはまさに東芝の意向を受けたものだ。

それをよく表しているのが「パッケージ型輸出」といった言葉。政府はこのパッケージ型のインフラ輸出を全面的に後押ししていくという。

パッケージ輸出とは、単に物を売るだけでなく、メンテナンスやサービスをセットにして一体で輸出するというのがその内容。

しかし、地球の裏側で巨大な高速鉄道網を構築、そこに車両を走らせ、メンテナンスまでするような力を、今の日本でいったいどれだけの会社が持ちうるというのだろうか。

あえて言えば日立か三菱重工くらい。結局、安倍政権成長戦略というのは、すなわち東芝成長戦略を意味することになる。

東芝は国にインフラ輸出といった自分がほぼ独占的に力を発揮できる分野に、まんまと日本を引き寄せ、自社のセールスに利用しているのである。

国と企業が主客逆転してしまい、従であるはずの1民間企業の利益のために主である国が世界を走り回る奇妙な構図が出来上がったのだ。

実際、今回の不正会計処理事件が発生する前の東芝は政権にものを言える立場をしっかりと確保していた。副会長の佐々木則夫は今回の事件で辞任したが、それまでは2013年6月から経団連の副会長のポストにあった。

経団連を代表して、政府の成長戦略を立案する産業競争力会議経済財政諮問会議の民間議員としての立場も得ており、このルートで政権に圧力をかけてきた。安倍政権肝煎りの「インフラ輸出」はその賜物だったわけだ。

今回の不正会計処理事件で東芝は財界からほぼ姿を消す。当面は復帰することは難しいだろう。安倍政権の陰の立役者が、ひとまず深い闇に沈んだ。(了)

ODA⇨開発途上地域の開発を主たる目的とする政府及び政府関係機関による国際協力活動
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/about/oda/oda.html

東芝事件が狂わせたウォール街のシナリオ

歴代3社長がそろって辞任する異例の事態となった東芝の不正会計問題。グループ売上高6兆円の巨大企業の不祥事は政財界の「関係者」に大きな衝撃を与えた。そのなかでも、最も大きな衝撃を受けた1人が西室泰三※だろう。

経団連副会長、東京証券取引所会長を務めた大物で東芝の相談役。

出身母体の前代未聞の不始末はこの財界人の動きを完全に止めた。そのことは日本の経済界にとってプラスだったのか、マイナスだったのか……。判断は分かれるが、1つだけ確実に言えることがある。ウォール街のシナリオが崩れたということだ。
西室泰三は1961年に慶応大経済学部を卒業後、東京芝浦電気(現東芝)に入社、主に国際畑を歩いた。

圧巻だったのは1990年代前半のDVD規格争いで、ソニー・フィリップス連合を打ち負かしたこと。この時の交渉力が評価され1996年に8人抜きで社長の座についた。社長在任期間は4年間だったが、決して順風満帆とは行かず、総会屋への利益供与事件や半導体事業の不振に見舞われ、業績も伸び悩んだ。ただ、会長、相談役と時を重ねるごとに財界での存在感は増した。現在は日本郵政の社長も務める。頭の回転の速い能吏だが、温厚な性格で笑顔を絶やさないジェントルマンでもある。能力、人格、見識のいずれにも非の打ち所がないうえ、今回の不祥事でも西室氏の社長在任期間には不正がなかったことから責任を問う声はほとんどない。本人も一線から身を引く気は毛頭なく、事件の感想を聞かれた記者会見の席上では「あんなことがあってはいけない。非常に大きなショック。悲しい」と第三者の立場を装い、安倍晋三首相に対しても戦後70年談話に関する有識者会議のメンバーの夕食会で「東芝は責任を持って再生させます」と東芝を代表する形で誓った。

しかし、残念ながら会計処理事件で、西室氏の影響力が低下することは間違いない。
東芝の信用が失墜することは、西室の信頼も損なわれることを意味するからだ。そしてこのことは日本郵政をも直撃する。日本郵政は昨年12月、傘下のゆうちょ銀行とかんぽ生命を含む3社の株式を今秋に同時上場する計画を発表しているが、こうなるとその上場計画にすら今回の不正会計処理事件は影響を及ぼしかねない。実際、西室は東芝の常任顧問の村岡富美雄氏を社外取締役に迎え入れ、上場準備を加速させようとしていたが、このもくろみが崩れた。不正会計処理問題を憂慮した総務省が待ったをかけ、結局、最後は村岡氏自身が辞退を申し入れる事態に追い込まれてしまったのだ。西室は孤立無援のまま今秋の上場に挑むことになるのだが、ここで重要なのは上場準備を盾に西室が進めようとしていた郵政改革が、今回の不正会計処理事件で大きくスピードダウンしてしまうことだ。例えば日本郵政グループは世界最大級の機関投資家で、資産はゆうちょ銀行が205兆円、かんぽ生命保険が84兆円にものぼるが、西室はこの巨額の資産について、「もっと積極的に運営すべきだ」と主張してきた。

運用先を日本国債の購入などだけでなく、もっと利益の上がる株式投資や外国債の購入などに振り向けなければ、ゆうちょ銀行に貯金しているお年寄りやかんぽ生命保険の加入者に不利益になるというのだ。そのために元ゴールドマン・サックス証券の幹部を招き、日本の国内で集めたお金を世界市場に投資していく「国際分散投資」を加速させる腹づもりだった。
しかし、今回の事件で、このシナリオが崩れた。日本のお金を今よりもリスクは高いがリターン(見返り)の大きい金融商品に投入する計画は大きく失速する。これは一見、日本郵政がようやく踏みだそうとしていたグローバル化にまたストップがかかったように見える。確かにそうかもしれない。しかし、そのことは日本にとって忌々しきことなのだろうか。実はそうではない。危うく難を免れているのだ。まず、ゆうちょ銀行やかんぽ生命にお金を預けたりかけたりする人のなかには高齢者や地方の人たちも多く、そういった人たちは、リスクの高い積極的な運用など望んではいない。こうした人たちのお金の性質上、安心で安定した資産管理こそ最大の便益でありサービスなのである。
さらにもう1つ見落としてならないことは、日本郵政グループがお金を海外投資に振り向けるということはその分、日本の国債の購入が減ってしまうということだ。そうなれば長期金利の上昇圧力が高まるリスクが発生する。なぜなら日本の長期金利国債の利回りを基準に決まっているからだ。日本の長期金利の利率は国債の利回りに一定程度上乗せして決まる。仮に日本郵政グループが国債を買わなくなれば、その分、日本郵政の代わりに第三者に国債を購入してもらえるよう利回りを高く設定し直さなければならない。そうなれば国債の利回りの上昇につられて長期金利も上昇、低金利に支えられてきた日本の経済の歯車は逆に回りはじめてしまう。西室が言うように、日本郵政の資産運用が海外の比重を高めれば高めるほど、日本国内の金融の調整弁の機能が損なわれてしまうのだ。

東芝は確かに日本を代表する大企業ではあるが、あくまでも1民間企業にすぎない。
そのトップだった西室には、日本郵政が持つ国の金融調整機能の大切さに思いが至らない。あるいは重要だとは考えていないということだ。これが恐ろしいところである。もともと日本郵政がもっていた国を支える力を放擲させ、単なる利益集団に体質転換させてしまう民営化の正体がここにある。西室が進めていた民営化は確かに日本郵政ドイツポストと並ぶ世界企業に成長させるかもしれない。しかし、その陰で日本という国が捨てられてしまうのだ。
ではなぜ、西室はそう動くのか。答えは米ウォール街だ。
長い米国駐在経験を持つ西室は、米国流の思考を徹底的に磨き、米ゼネラル・エレクトリック(GE)のトップを務めたジャック・ウェルチなど米政財界人やウォール街との人脈を丹念に築いた。信頼感は日本のどの財界人にも劣らず、その人脈こそが、西室の真骨頂なのだ。日本郵政の社長に西室が座ったのも、民営化を望む米ウォール街と通じた人材だからだ。当然、西室は民営化を急ぐ。それが西室の使命だからだ。こんな話がある。日本郵政は今年4月、米IBM・米アップルと高齢者の見守りサービスを展開することで合意した。米2社開発した専用アプリ(応用ソフト)を搭載したタブレット端末を使い、日本の高齢者見守りサービスを実施するというのだ。サービスは2016年から始まる予定だというが、このニュースを聞いて、自分の老後を最新鋭の米IBMや米アップルのタブレットに託そうと考えた人はそういないだろう。そんな老後を提供してもらうために日本郵政は民営化されなければならないのか。
それはいったんおくとして、ここで面白いのはIBMの最高経営責任者(CEO)のバージニア・ロメッティとアップルCEOのティム・クックが、この見守りサービスの合意を受け、西室とともに記者会見に顔を出したという事実だ。これだけの米経済界の大物が日本の案件で二人そろって記者会見に登場することはまずない。

少なくとも首相安倍ではあり得なかったことだ。しかし、西室なら出てきた。これを見てもいかに西室が米政財界に顔がきくかわかるだろう。その西室が今回の不正会計処理事件で失脚した。かつてのような影響力は持ち得ないだろう。東芝が主導した原発ビジネスの世界戦略が狂ったように、日本郵政の民営化、グローバル化にも待ったがかかった。ここにも「神の見えざる手」(アダムスミス)が働いている。=敬称略(了)
※西室 泰三(にしむろ・たいぞう)略歴【日本郵政HPより】
https://www.japanpost.jp/corporate/officers/index06.html

東芝、粉飾事件があぶり出した「原発と米の闇」


東芝が躓(つまず)いた。組織的に不適切な会計処理に手を染め、1500億円もの巨額の利益を不正にかさ上げしていたのだ。しかも粉飾をしていた期間は辞任することになった田中久雄社長、前任の佐々木則夫、そしてさらにその前任の西田厚聡の時代にまで遡るというから驚きだ。


事態は深刻で東証も問題視、「上場廃止すら検討している」という。
いったい名門企業に何が起こったのか。記者会見で分かってきたのは3社長それぞれが体面を保つため、数字を操作、粉飾を繰りかえしていた事実だが、実はそれはあくまでも表面上のこと。本当の理由は「原発と米国」いう闇を体内に抱え込んだことに辿り着く。
悲劇の起点は2006年10月。東芝米原子力大手ウエスチングハウス(WH)を買収したことから始まる。金額にして54億ドル(6000億円)。「高すぎる」と批判された構想が白紙に戻された新国立競技場を2つ以上建設できる計算だ。巨費と引き換えに東芝原発という闇を招き入れた格好なのだが、そのWHとはそもそもどういう企業なのか。

WHの創業は1886。ニューヨーク生まれの発明家ジョージ・ウエスチングハウスが変圧器や交流発電機を手がける会社として設立した。ペンシルベニア州で米国初の原子力発電所を稼働させたいわば原子力界の名門で、世界の原発市場で最もポピュラーな加圧水型軽水炉(PWR)の特許を持っている。このWH買収を決めた当時の社長は西田氏。そしてその下で実務を取り仕切り買収プロジェクトを進めていたのが、佐々木氏だ。今では公の記者会見の席上で、互いを批判するほど犬猿の仲の2人だが、WH買収時点では蜜月で、経営の集中と選択という名のもとに、銀座のシンボルだった「銀座東芝ビル」のほか、東芝EMIを売却、そこで生み出したお金を原子力ビジネスに集中させていった。二人三脚で東芝の命運を原発ビジネスにかけたわけだ。
このWHを軸とした原発シフトの傾向は2009年に入り一気に加速していく。西田氏が東芝の次世代ビジネスとして経営資源を集中させたのは原発ともう1つ半導体だったが、リーマンショック後の市況の悪化で2009年3月期に過去最悪となる3400億円の最終赤字を計上した。こうなれば「やはり後は原発しかない」との雰囲気が社内で支配的となっていく。その年の6月には社長は西田氏から佐々木氏に変わるが、これで原発ビジネスへの傾斜にブレーキが利かなくなる。


西田氏の後を引き継いだ佐々木氏は早稲田大学理工学部機械工学科卒業後、東芝に入社、一貫して原発畑を歩んだ生粋の原発屋。原子力技師長、原子力事業部長を務めた専門家でもある。東芝の経営の危機を原発シフトにより乗り切る方針を明確に打ち出し、アクセルを踏み込んでいった。
権力を集中させ、その集中過程で、今回の事件の粉飾決算の土壌も整い、粉飾で取り繕った好決算を背景にまた一段の権力の集中が進んだ。
原発は10年を単位とする息の長いビジネス。しかし、一発あたればあちこちに紛れ込ませた赤字も一気に解消できるビッグビジネス」との思いが佐々木氏にはあったのかもしれない。しかし、賭けは裏目に出る。2011年3月、福島県震源地とする東日本大震災が発生したからだ。原発の新設計画が国内外で滞り、原子力はリスクの高いビジネスに変わる。原発の新規受注はいったん、ここで完全にとまる。

止まらなかったのは、東芝だ。

新規の原発プラント建設の仕事がなくなっても、すでにある原発への燃料供給の仕事はあると判断、ここに活路を見いだす展開に出たのだ。WHをテコに原子力発電所向けの核燃料事業を世界で拡大、例えばフランスでも電力公社(EDF)から核燃料の長期供給契約を獲得した。この結果、仏原子力大手アレバのお膝元でフランスでの核燃料シェアは2割から4割に高まり、2014年度の核燃料受注額は2000億円を超え、直近の5年間のなかで最高の規模に達した。新規原発プラントにしても東日本大震災の影響で先進国から受注がなくなったが、発展途上国などでは完全に動きがとまったわけではない。
国際エネルギー機関(IEA)は、世界の原発の発電容量は2040年に6億2400万キロワットと13年比で6割増えるとしているが、その新設分の4分の1強が中国と見ている。中国では25年までに50基が新設されるとの予測もあり、この中国の需要については東芝も依然、有望と見て攻勢をかけ続けた。WHは東芝の傘下にあるというものの米国の会社で、WHを全面に押し出せば、対日感情が悪化している中国でもビジネスは可能と判断したのだ。

しかも、東芝傘下のWHには「AP1000」の技術がある。これは今、日本にある原発の数歩先に行くもので、外部電源などが失われても原子炉が完全にとまる「受動的(パッシブ)安全設備」を備える。
「3・5世代」(または「第3世代プラス」)と呼ばれる原子炉で、万が一、原発が制御不能となり3日間は作業員がいなくても安全性を保ち、東京電力福島第1原発のような事態でも事故を避けられるという。東芝はこのAP1000なら商機ありと見て、東日本大震災の後も中国向けの新規プラント輸出で攻勢をかけ続けた。この動きは中国だけにとどまらない。ブルガリアの国営電力会社「ブルガリア・エネルギー・ホールディング(BEH)」へも納入する方向で交渉を進めている。受注額は5000億円前後となる見通しだ。こうして見ると東芝東電福島第1原発であれほどの事故を起こしておきながら、決して原発シフトの流れを止めようとはしていない。むしろ、加速させた。
しかし、ここで大切なのは、それは米WHの隠れ蓑があってはじめて成立するビジネスモデルだったということだ。
東電福島第1原発の事故で日本の原発技術の信頼は一気に失墜した。そのためにWHのブランドを借り、米政府の強い外交力に押し出される格好で原発ビジネスを世界展開させていったのである。

 ここでだ。問題は「さすが東芝」と見るべきかどうかだ。

よく考えて頂きたい。東芝が輸出した原発プラントが万が一、トラブルを起こした場合、そのツケはいったい誰に回るのか。当然、親会社である東芝に回ってくるのだ。米政府もWHの原発プラント輸出は後押ししても、事故が発生した場合、これに責任を持って対応するようなことをするはずがない。原発ビジネスが順調に回っている分には米国の雇用増につながり原発部品メーカーの台所を潤すから後押しはするが、事故が発生したと同時に「善意の第三者」の立場に逃げ込むのは間違いない。
しかし、さらに注意が必要なのはこれほどの巨大プラントを東芝が世界各地に輸出し、このうちのいくつかでも事故が発生すれば、そのツケは東芝という1民間企業が払いきれる範囲をあっさり超えてしまうということだ。そうなれば当然、東芝は倒産する。しかし、裏を返せばそれで東芝の法的責任は免れられる。ならば残ったツケはどうなる。日本政府に回ってくるのだ。すなわちそれは、東芝が企業利益を追求し無節操に輸出した原発プラントのトラブル処理を、日本国民の税金であがなうリスクが発生していることを意味する。確かにAP1000は世界的な原発技術を注ぎ込んだ最高水準のプラントであることは間違いない。だからと言って、100%安全だと誰が保証できるというのだ。日本に建設された原発プラントも東電福島第1原発の事故が発生する前は、「ジェット機がマッハの速度で衝突しても損傷することはない」と説明された。
しかし、その言葉を今も繰り返す人は1人としていない。こう考えれば、東芝は1企業として超えてはいけない矩(のり)をすでに超えている。しかも粉飾決算というタブーに手をのばしてまで矩を超え、暴走し続けた。この結果、東芝を媒介にして、米国が進める原発拡散政策に日本も知らず知らずのうちに引き込まれてしまっていった。
その東芝の暴走が今回の不正会計処理事件で、ようやく止まったのだ。奇しくもこの事件で経営の舞台から姿を消すのは東芝の経営の舵を原発ビジネスに切った3人。

しばらく東芝原発ビジネスを立て直す余裕はないだろう。「神の見えざる手」(アダムスミス)はここにも密かに、しかししっかりと伸び、東芝の無邪気で無責任な原発ビジネスに歯止めをかけた。(了)

日本油田構想は死なず

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 日本で最大の油田が開発されるかもしれない――。そんな期待を込めて新潟県佐渡南西沖で進められた調査プロジェクトがある。時は2013年。沖に30㍍離れた地点で石油・天然ガスの埋蔵を確認するための調査プロジェクトだ。残念ながら「埋蔵は確認されず」(経済産業省)との結果となったが、詳細を調べてみると産油国ニッポンの可能性が閉ざされたわけではないことが分かってきた。なぜなら、政府はもちろん、この調査を請け負ったJX日鉱日石開発や出光興産など民間企業が再び日本近海での油田開発に手を挙げる見通しだからだ。
早ければ2016年にも「日本を掘る」プロジェクトが日本の領海内のどこかで再び動き出す。日本に本格的な大型油田が表れる日が近い。
2013年の調査はJX石油開発が国から受託する形で、4月14日から7月20日までの約3カ月の間に実施した。国と企業で合わせて100億円の調査費用をかけて実施した大々的なもので、地球深部探査船「ちきゅう」まで投入し、水深約1130メートル、さらに海底下約1950メートルを掘削した。そのうえで経済産業省が「埋蔵は確認されなかった」と公表しているのだから、「やはり日本には資源はない」ことが改めて明らかになったわけだ。
しかし、調べてみるとこれはかなり早計である。第1に国が100億円近くも投じた今回の調査にもかかわらず、これを請け負ったJX開発は1カ所しか掘削していない。にもかかわらず経産省は「調べるに値する地層が見つからなかった」とした。通常なら1つのエリアの探査をする場合、最低でも3カ所は掘削する。しかし、今回はたった1カ所を掘削した時点でその周辺部を掘削することをあきらめている。1カ所掘ってみて「調査に値しない地層」であることが分かったから「その近くを掘っても結果は同じ」というのだが、よくよく調べてみると、その1カ所の掘削結果は決して絶望的な内容ではない。それどころか、きちんと油分が確認されているのだ。経済産業省も正式に「岩石サンプルに油やガス成分があった」ことを認めている。ただ、それが「微量だ」という。予想通り油があることは確認できた、しかし、その割合が少なく採算ラインに乗るようなものではないというのだ。まるで、「日本には石油がない」ことをわざわざアピールするための調査のようにも思えるほどだが、それにしても、これほどあっさりとあきらめるなら、なぜ、掘ったのだろうか。
通常、油田があるかどうか調査に入る場合、まず、石油が貯まる器の有無を確認するのが一般的。入れ物がないのに中身があるはずがないのは道理で、形から入るわけだ。
ただ、石油の場合、その入れ物は通常のイメージとは異なる。逆さまなのだ。石油は水よりも軽く、そのため上へ上へと逃げようとする。これを阻止するために、お椀を伏せたような硬い岩で構成されたシール(帽岩)と呼ばれるキャップが必要になる。このシールの内側に、石油やそれが気化したガスが貯まるため、シールがあれば油田を形成する大前提が整う。従って油田を探査する場合はまずこのシールがあるかどうかを調べる。

新潟県佐渡南西沖の油田開発プロジェクト(※1)の場合、2009年の物理探査船「資源」の調査でシールの存在は確認ずみだった。しかも、これがかなり巨大である事実もつかんでいた。だからこそ経済産業省が「中東の中規模程度の油田が眠っている可能性がある」と公表したわけだ。確認できたシールが巨大の大きさから類推し、この巨大なシールの裏側に石油が貯まっていたとしたなら、中東の中規模程度の油田になるとの計算をはじいていたのだ。今回の掘削ではシールの内側を調べてみると残念ながらこれが発見されずに終わった。ただ、不思議なのはこの大きな入れ物(シール)があるだけで、経済産業省はそれを「巨大油田の可能性」ととったのかということだ。経済産業省はシールの存在はもちろん、その下に油田がある可能性も「予感」していたのではないか。そうでなければ100億円もの巨額資金を「資源がないのはあたり前」とされる日本の近海で投じるはずはない。資料を引き出してみると確かにその「何か」はあった。2003年、やはり新潟県佐渡南西沖で民間企業による油田調査が実施されており、そこで油があることが確認されているのだ。このプロジェクトに参加した企業はジャパンエナジー(当時)と出光興産。経済産業省と石油公団(現石油天然ガス・金属鉱物資源機構)の委託を受け、深度1000メートル近くの海底に井戸を掘り、埋蔵量などを確認する調査が実施されている。
この調査でシールの下に10メートルの厚さでハイドロカーボン(炭化水素)、つまり石油を含んだ地層が横たわっているのが確認され、いったんは2008年の商業生産に向け準備が進んだ。
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ただ、不思議なことにこのプロジェクトはいつのまにか急速に失速してしまった。当初は半潜水型海洋掘削(セミサブマーシブル)と呼ばれる開発手法まで具体的に検討された経緯があるのに、だ。海上施設から海底の油層に原油天然ガスをくみ上げる管を通し、管から吸い上げた原油天然ガスを製品化していく計画まで決まっていたが、「油があることは確認できた」(経済産業省)にもかかわらず「いざ商業生産」という段になって、プロジェクトは頓挫してしまった。

頓挫の理由は大きく言って2つ。

1つは水深。深度1000メートルというのは「かつてない深さ」(経済産業省)で、リスクが高く商業生産には向かないという理由だ。そしてもう一つの理由が陸地から離れすぎていること。この掘削ポイントは新潟県上越市の北方沖合30―50キロメートルのところに位置しており、これもまた「沖までの距離が遠くリスクも高過ぎるため商業生産には向かない」というのだ。

なるほど確かにそうだろう。しかし、よく考えてみると実に不思議な理由でもある。水深にしても沖合ポイントまでの距離にしても調査をする前から分かっているはずのことだからだ。政府は承知のうえで、ポイントを決め、掘削方法を選び、その後の商業生産までの計画まで策定しているのである。深度や距離が本当に理由なら、最初から調査は無意味だ。

プロジェクトの総額は30億円から40億円だったというが、それほどの巨費を投じ、しかも油があることまで確認しておきながら、不可解な理由で開発を途中で放棄してしまうのは、全く合点がいかない。政府のほうで何か大きな方針転換があったとしか考えられない。

その真偽はとりあえず置くとして、重要なのは、この2003年の調査ポイントが、2013年の調査ポイントからわずか10キロメートル程度しか離れていないということだ。
つまり10年前の掘削ポイントと2013年の掘削ポイントは同じシール上にあるわけだ。10年前、表向きには「商業的に採算ラインに乗らない」としておきながら、実はその隣接地で同じシールで再び掘削調査を実施しているのだ。
いったいこれはどういうことなのか。いったんは「油田として見込みはない」と判断したはずのシールの上をなぜ再び政府は掘ったのか。
実はこの事実こそ、このポイントに巨大油田があることを示唆している。この事実を見逃してはならない。政府は新潟県佐渡南西沖の掘削ポイントが有望であることを把握していながら、公式的には「油の成分は確認できたが、商業生産にのるほどではない」との発表を繰り返している。政府の発表とは裏腹に実際は油田がある可能性が高いのだ。だからこそ、掘削調査を繰り返している。こう考えるのが自然だ。実際、政府は今後も油田開発に向け調査は続けていく方針だ。
これまでほぼ3年に一度の割合で掘削調査が行われてきてが、今後も「大きく変える考えはない」(政府)という。このまま行けば、おそらく2016年には前回同様の調査が行われる。このことは政府がいかに油田開発に信念と確信をもって取り組んでいるかの証左でもある。
2015年3月末での国の借金は1053兆円。1円でも削りたいところなのに、1回あたり数十億から100数十億円もの資金が必要な掘削調査を今後も続けていくというのは並大抵ではない。JX開発はじめ出光興産など民間の石油元売り会社などもこれに応じる見通しで、新潟県佐渡南西沖での掘削調査も当然、続く可能性が高い。掘っては「ダメ」、掘っては「ダメ」と言い続け、その裏側で着実に開発は進む。これは日本に油田が眠っている証拠に他ならない。日本には油田が確実に眠っているのである。
もちろんそれを「詳細まで含めて公にするべきだ」というつもりはさらさらない。仮に公にすれば尖閣諸島問題で分かるように近隣の韓国はもちろん中国も領有権を主張し、複雑な紛争問題に発展しかねないからだ。静かに潜伏して進めればそれでよい。
そしてある日突然、日本の領海内で石油が沸けばそれでいい話だ。大切なのは日本が石油という太陽の恵みを着実にものにし、国を富ますことである。(了)

(※1)新潟県沖で石油・天然ガスの試掘開始、メタンハイドレートよりも早く商業生産へ《スマートジャパンより》
http://www.itmedia.co.jp/smartjapan/spv/1304/16/news099.html
新潟県佐渡南西沖において石油・天然ガスの試掘を開始しました
~探査船「資源」の探査結果に基づく初の試掘調査~《平成25年4月15日 資源エネルギー庁より》
http://www.meti.go.jp/press/2013/04/20130415002/20130415002.pdf

起死回生の鉱脈は足元にあり -ーニッポンに石油が沸いた-ー

⚫️ニッポンに石油が沸いた

噴き出した石油が止まらない――。何も中東の巨大油田地帯の話ではない。日本での出来事だ。2013年4月、新潟市秋葉区の住宅の敷地内から石油とガスが噴出、2年以上、たつにもかかわらず、沸きだした石油が今だ止まらないのだ。新潟市秋葉区の担当者は「今日も現地に視察に行ったのだが、有効な手立てはない」という。しかしだ。なぜ、この出来事、「有効な手立てを探す」といった類の話になるのか。これは僥倖である。省資源国ニッポンに石油が湧いたのである。これを見逃してはならない。日本国が世界で勃興するための足がかりとなるはずだからだ。
ことの次第はこうだ。4月27日、同区に住む山田隆さんの自宅の床下と隣接して所有する空き地の地面に突然、複数の穴が空いた。そしてこの穴から大量の泥水が溢れ出てきたのだ。しばらくするとこの泥水が異臭を放ちだした。よく嗅いでみると石油の匂いだ。山田さんはすぐさま役所に連絡、指示を仰いだものの役所側は慌てるばかり、そして今に至ったが、状況はなんら変わっていない。

もともと石油が噴出した新潟市秋葉区の新津地区は石油との縁が深い。「日本書記」にも「越国から燃土、燃水が献上された」とあり、その燃える土や水が採取されていたのは、この新津地区である。もっと近い歴史をたどれば、明治後期から大正にかけて新潟県内には4つの油田があり、今回、石油が噴き出した新津地区はそのなかでも最大級の新津油田があったエリア。1917年に年産12万㌔㍑と産油量日本1を誇った油田があった地域なのだ。

そこから石油が湧いた。掘りもしないのに、かなりの量が出たのである。1日300リットルを超える量がでる日もあり、石油は1カ月でドラム缶4本分にもなる。

⚫️早すぎるダメだし
石油がないはずの日本で、石油が自噴した。事実なら小躍りしてもいいはずの出来事なのだが、周囲の反応は意外に冷めている。秋葉区は「噴出した石油で公害が起きないようにしている」(区民生活課)とまるで危険物扱いで、石油やガスによる引火・爆発を防ぐため石油が噴き出した民家の周辺に「電気製品使用厳禁」や「火気厳禁」を訴える看板を接地して注意を喚起しているほど。当の山田さんも油の回収に1日に何時間も費やし、資金も100万円近くかけたと迷惑顔だ。

ただ、こうした周囲や当事者の反応には理由がある。新潟市国際石油開発帝石に噴出した石油の成分を分析してもらったところ「品質が悪く、使えるレベルのものではない」との結論だったというのだ。
確かにそうだろう。あえて掘削して掘り当てた石油ではなく、わざわざ地層の切れ目を縫って沸き上がってきた石油である。そのまま使えるほど品質がよいはずはない。泥も小石も水も混じっているのは当然だ。これをもって「使えない」と判断するのはあまりにも早計ではないか。


重要なのは日本の精製レベルの高さだ。エネルギー安全保障上の問題もあって日本は世界中のいかなる原油であっても、沸点などを調節しながらガソリンなど石油製品に仕上げていく精製技術を持つ。省資源国とされたが故にどんな原油からでもガソリンをとる力を懸命に磨いたのだ。例えば日本には※アラビアンライト原油と呼ばれるサウジアラビア産の軽質原油が回ってくることが多いが、この原油などは硫黄分が多い重い原油で、これを高性能の脱硫装置を使って硫黄を抜き、石油製品に仕上げていく技術などは世界最高水準だ。こういった技術を使えば、精製できない原油はない。新潟市秋葉区から噴き出した原油も当然、精製できないはずはない。それにも関わらず「品質が悪く、使えるレベルではない」というのはどういったことか。「日本には石油はないはず。あっても使えない」という固定観念に縛られ過ぎているのではないか。

⚫️黄金の国の設計図


 原油という蜜が流れる大地はそう多くにない。その蜜を求めて人類は海の底であっても掘り進める。例えば米メキシコ湾にエクソンモービル保有する油田などは現在、水深8600フィート(約2580メートル)の深さにある。このエリアでは年々規模の拡大が続いており、水深10000フィートを超える掘削リグの設置計画を持つ社もあるほどで、逆に言えばそこまでパイプを延ばさなければ、掘削地点にまでたどり着かないのだ。しかも、その海底の掘削ポイントには何も石油がにじみだしていたわけでも、ましてや自噴していたわけでもない。超音波などで技術を駆使してようやく割り出している。
それから考えればどうだろう。新潟市秋葉区には石油が自噴する、しかも陸上のポイントがある。これほどの僥倖を見逃していては、神の恩寵を取りこぼしているといっても過言ではないだろう。(了)

※アラビアンライト原油とは…
http://www.weblio.jp/content/アラビアン・ライト原油
《関連記事》
日本経済新聞2013.8.22『国際帝石、新潟市の石油噴出にトラブル解消支援』
http://mw.nikkei.com/sp/#!/article/DGXNZO58801610S3A820C1L21000/
新潟日報2013.8.19【新潟石油頻出】止まらぬ石油、住民悲鳴-1200リットル以上を回収-民有地からの石油噴出に行政は手出しせず
http://azarami.blog.fc2.com/blog-entry-809.html?sp