どう(銅)でもよくない、オリンピック
夏季五輪リオデジャネイロ大会が閉幕した。日本のメダル総数は41個で前回(2012年)のロンドン大会の38個を上回り史上最多。メダルラッシュと国は沸くが、内訳を見ると銅メダルが21個と半分以上を占め、金メダルは12個と全体の3割だ。つまりリオで日本国の国歌「君が代」が鳴り響いたのはわずか12回でしかない。あえて言おう。銅では意味がない。
●思い出づくりもいいけれど……。
「楽しみました」「いい思い出ができました」。最近の五輪選手に多い試合後の言葉だ。確かにそうだろう。あれだけの大舞台で世界の注目のなかでプレーできたのである。良い経験になったであろう。これからの人生に生かして欲しいのはもちろんのことだ。
ただ、それで終わってはならないのがオリンピックである。もともとギリシャで始まった古代オリンピック。ギリシャ全土から競技者や観客が参加したが、いくらポリス同士で戦争をしていても、いったん中断してオリンピックに参加しなければならなかった。つまりオリンピックは戦争の代わりだったのである。日本選手にその覚悟が見えない。
●国費はどうする
そもそも選手1人にどれだけの国費を投じているのか、考えて欲しい。今回のリオには300人を超える選手団を日本は派遣したが、その一人ひとりに国費が投じられているのである。それだけ選手には国の威信を託しているのだ。
それには金メダルをとってもらうことが肝心だ。日の丸を1番高いところにあげ、日本国の国歌を鳴り響かせなければ、国の威信は示せない。
銅も結構。銀ならなおいい。個人の良い思い出になるだろう。しかし、国の威信ということになれば話は別だ。金でなければなんの意味もない。銀でも銅でも1度は試合に負けたという事実は揺らがない。
日本は今、最も負けてはならない時期だ。尖閣諸島沖に中国の船団が押し寄せる領海を侵犯され続けているのである。いわば国難。寸分も国の弱みは見せられない。それほど国が危うい時期に個人の思い出づくりに国が付き合っている余裕はない。金龍国ニッポンには金メダルこそよく似合うのだ。(了)
タラちゃんが危ない
政府の税制調査会が9月から所得税改革の議論を始める。最大の目玉は配偶者控除。専業主婦や年収が一定額以下の配偶者がいる世帯を抱える大黒柱の税金を軽くする制度で、安倍政権はこれを見直す方針。専業主婦がいる世帯だけを税制面で優遇する制度をやめ、主婦が働く世帯と平等に課税するという。一見、正論。しかし、サザエさんはタラちゃんを家に残し、働きにでなければならなくなる。
●狙われた配偶者控除
8日に開かれた政府の経済財政諮問会議では第3次安倍再改造内閣の重点課題について、議論がなされた。議題は「高額医薬品の価格算定手法の見直し」や「労働力人口の減少など経済構造の変化を見据えた成長力強化」などもっともらしいものが並んだが、このなかに混ぜ込まれたのが、配偶者控除の見直しだ。
経済財政諮問会議という、厳めしい名前の会議の目的は煎じ詰めれば国の歳出のカット。この会議で配偶者控除の「見直し」を議論するということは、国の支出を減らす方向で検討を進めることを意味する。すなわち配偶者控除の事実上の撤廃だ。実現すれば、専業主婦を抱えるサラリーンマン世帯への支援を打ち切るわけだから、そのままでは家計は苦しくなる。主婦は家事に専業していることは許されず、労働市場に追い立てられてしまう。
●サザエさんは怠け者?
安倍政権ではこれを「女性活用」という。このまま専業主婦がいる世帯を税制面で優遇し続けることは社会の女性活用に反し、「女性の働く意欲を損なうことにつながる」と主張する。
しかしだ。サザエさんは「働く意欲がない」から家庭にいるのだろうか。マスオさんが国に支払う税額を圧縮するためにあえて家にいるのだろうか。それはけしからん、「1億総活躍社会なんだから、サザエさんも外に出て働け」というのか。ならば、タラちゃんはどうなる、タマのごはんは……。
●子供は2年は自分で育てろ
こう考えると増税を盾に専業主婦を労働の場に駆り立てるのには無理がある。「いや、託児所がある。幼稚園がある」という見方もあるだろう。確かに今はゼロ歳から子供を預かる施設が都心にもある。しかし、簡単に考えてはいけない。子供はやはり少なくとも2年は母親が育てなければいけない。成人してからの人間性に欠損が生じる。人間性が固まる前に安易に外に放り出してはならない。たかだか1時間800円~900円を得るために、主婦が家や子供を犠牲にしてはならないのだ。
大切なのは庶民が一家の大黒柱をきちんと立てられることだ。中流階級であっても暖かい家庭生活を享受できる社会をつくるべきだ。もちろん高額所得者なら税制面の支援は不要だ。しかし、そうでない中流階級には、きちんと政府が税制面で生活を支援し、家を立てられるように応援してやらねばならない。
●家が壊れる、国が壊れる
DODAのデータをみると20歳代の平均年収は349万円、30歳代で456万円。40歳代になってようやく572万円だ。どの世代も東京なら食べていくのがやっとだろう。妻が専業主婦で配偶者控除を撤廃されたなら、とても生活は成り立たず、子供をおいてパートに出るしかない。それを「1億総活躍」というなら、何とも浅薄な「活躍」だ。
安倍政権はいったい何を目指しているのか。このままだと家が壊れ、国が壊れる。(了)
散るぞ悲しき
東京都知事選が大詰めに差し掛かっている。核武装もやむなしと公言する小池百合子氏が頭一つ抜けだし、これを元建設省官僚で岩手県知事時代は借金を2倍にした増田寛也氏が追う展開。つくづくこの国は「人がいない」と思うのだが、それにしても残念なのはジャーナリストの鳥越俊太郎氏。最大の「売り」が聞く耳を持っていることとは……。都民は話を聞いて欲しいのではない。聞かせて欲しいのだ。あなたの見識を。
[※平成28年7月27日 産経新聞より]
●鳥越さん、あなたはジャーナリストですか?
今、世はジャーナリス流行りである。とりあえず「ジャーナリスト」と言っておけばなんとか格好がつく。「こういう条件がジャーナリストには必要」といった確たるものがないせいかもしれないが、猫も杓子も自称、ジャーナリストである。ただ、この人は本物だと確信していた。都知事選が始まる前までは……。
鳥越氏は1940年、福岡県に生まれる。1965年、京大文卒後は毎日新聞社に入社、週刊誌「サンデー毎日」の編集長も務めた。宇野宗佑首相の愛人問題を追及、退陣に追い込んだ敏腕ぶりは当時、確かに異彩を放っていた。権力と決然と対峙、間違いなくジャーナリストとして生きてきた人物であったはずだ。
ところがだ。権力と戦う立場から一転、権力を追う立場に変わったとたん、口をつぐんでしまった。自分のポリシーを隠してしまった。驚くべき、そして悲しき変節である。
小池氏も増田氏もある意味、この程度の人物である。もともと差しある見識も持ち合わせていないのは分かっているし、その分期待もない。しかし、鳥越氏は違う。参院選で大勝、改憲を手中におさめた与党に対して、きちんとものを言い、牽制する役割を担っている。だから、民進、共産、社民、生活が団結しおした。その役割を果たさなければならない。口をつくんではならないのだ。
●ポリシーをなぜ隠す
本来、鳥越氏は反原発であったし、護憲、そして反アベノミクスであったはずだ。なぜ、それを声高に主張しない。野党の微妙な政策の違いを気にして、自分の主張を引っ込めたのか。神輿は軽いほうがいいと割り切ったのか。
●散り際の美学を知れ
ジャーナリストなら主張して欲しい。なぜ原発なのか。護憲なのか、アベノミクスのどこに欠陥があるのか、論陣を張って欲しい。それで負けたっていいでないか。権力と正々堂々戦って敗れたならそれはそれでジャーナリストらしい。権力を牽制し、都民を啓蒙し、そして散るならよいではないか。
勝つことに汲々として、言うべきことも言わない。それは鳥越氏の役割ではない。鳥越氏に対する都民の期待は「勝つ」ことではなく「有意義に負ける」ことである。状況に応じて自分に何が託されているのか、その役回りをきちんと察し、全力を尽くす。それが大人というものだ。鳥越さん、今のあなたは子供です。(了)
バングラデシュ事件が暴いたJICAの闇
バングラデシュの首都ダッカでのテロ事件から1カ月がたとうとしている。外務省は国際協力機構(JICA)などと共同で、政府開発援助(ODA)事業に関する安全対策会議を開き、日本の海外援助を行う上での安全強化策を検討していくという。だが、どうもこの動き、腑に落ちない。表層的な動きのように思えてならない。まるでバングラデシュ事件を手じまう口実づくりのようだ。そう、JICAは外務省が隠してしまいたい巨大な闇を抱えていたのだ。
●JICAの裏で金が動く
バングラデシュの飲食店襲撃事件で犠牲になった日本人は7人。すべて国際協力機構(JICA)が支援する交通インフラ事業に従事していた。バングラデシュの発展にために尽くそうとしていたにもかかわらず問答無用で惨殺するテロの非道さには改めて憤りを感じるが、ここで我々が学ばなければならないのは、「なぜ、犠牲者が国際協力機構(JICA)の関係者だったか」ということだ。よくよく突き詰めると、これは偶然ではない。日本の誤ったODAが引き起こした必然的な結末だったのだ。どういうことか見ていこう。
テロ事件が勃発したのは7月1日。実はこの直前の6月29日に国際協力機構(JICA)はバングラデシュ政府との間である契約を結んでいる。それは日本の国際協力機構(JICA)がバングラデシュに対しての巨額の円借款を貸し付けるというものだ。金額にして1735億3800万円。円借款の規模としては過去最大で、この巨額の資金を借り受けたバングラデシュ政府は、自国の都市の交通網の整備などインフラ投資に振り向ける計画だという。
確かにバングラデシュは南アジアと東南アジアの結節点に位置する地政学的には極めて重要な国であることは間違いない。「世界の繊維工場」とも呼ばれ、繊維産業を中心に経済活動も活発になりつつあり、都市部の交通渋滞は激しさを増している。それを解消するために巨額の資金が必要で経済大国である日本が支援するということは自然なことのように思える。にもかかわらず「発展しつつある国を支援していた人を犠牲にするなんてテロはなんて卑劣なんだ」と言えば、片は付く。「テロに負けずに安全に気をつけ世界を助けよう」と言えば聞こえもいい。
●7人の奇妙な共通点
しかし、それで終わってしまえば本質を見逃してしまう。さらに検証を重ねてみよう。
まず、精査しなければならないのが、今回、テロ事件に巻き込まれた7人がどういう人たちだったかということだ。いずれも交通インフラ事業の支援に従事していたことは先に述べた通りだが、実はこの7人には共通点がある。全員が建設会社の社員であるということだ。オリエンタルコンサルタンツグローバル(東京・渋谷=3人)、アルメックVPI(東京・新宿=3人)、そして片平エンジニアリング・インターナショナル(東京・中央=1人)で、3社はJV(共同事業体)を組み、共同で「ダッカの交通渋滞を解消する」という名目で、交通システム改善事業の実現可能性調査をしていたのだ。
日本人の美徳として死者にむち打つことはしない。このため今回の事件でも「途上国の発展のためにだダッカに入った。なのに……」という美談仕立ての報道ばかりだった。その影響で一般国民はあたかも7人が無償で、途上国発展のために尽力していたかのような印象を受けたかもしれないが、実はそうではない。全員が社員として現地に入り、それぞれの会社のビジネスを担ったところで事件に巻き込まれたのだ。
●ODAは誰のため
さらに重要なのはこれからだ。そのビジネスの正体とは何なのかということだ。結局は日本のODA絡みの仕事なのである。6月末に日本がバングラデシュ政府に対し巨額の円借款契約を結んだがこれも狙いの一つ。こうしたODA絡みの契約が形になりバングラデシュ政府を経由し、交通インフラ整備事業として落ちてきたところをすくう仕事だったのだ。要はODAに群がる建設会社の先兵としてバングラデシュに派遣され、そこで犠牲になったというわけだ。
例えば3人の犠牲者を出したオリエンタルコンサルタンツグローバル(東京・渋谷)という会社を見てみよう。
このオリエンタルコンサルタンツグローバルという舌を噛みそうな長い名前の会社はいったいどういった会社なのか。実はこの会社、2014年10月1日に創業したばかりの建設コンサルタント会社に過ぎない。ただ、もともとは同じく東京・渋谷に本社を置くオリエンタルコンサルタンツという建設コンサルタント会社の海外部門で、こちらは歴史のある会社だ。これを切り離し、別動隊の会社の形態としたのが、異常なのはこの2年間の成長ぶりである。決算公告を拾ってみると2014年9月末時点での資産合計は4億8285万円。これが1年後には85億6818万円にまで急拡大している。この急成長の原動力が、国際協力機構(JICA)を軸としたODA案件だということは想像に難くない。これを見逃してはならない。
●バングラデシュはお腹いっぱい
ODAは経済大国、日本の責務として続けられ、武力を持たない日本の外交の要を担ってきた。しかし、そのお金の使われ方は極めてグレーで、行き先も合理性を欠く。
バングラデシュなども日本の国土の4割程度のところに、1億6000万人もの人が住む。わざわざ、日本がでていかなくても人的資源は事欠かない。それでも日本はこれまで1168人もの人を派遣し、経済協力を進めてきた。その数はフィリピン、マレーシアに次ぐ第3位の規模で、いったいなぜ、人的資源が潤沢なバングラデシュにこれほど日本人を派遣しなければならないのか、説明はつきにくい。
さらにそこにお金を注ぎ込み、バングラデシュ政府を経由する形で、無名の企業が甘い汁を吸ってきていたとするなら、どうだろう。美名に隠れた悪事はたちが悪い。今回のバングラデシュ事件が意味するところを日本人はもう一度、考え直すことが必要だ。(了)
あなたはコーランを唱えられますか
バングラデシュの首都ダッカで日本人7人が犠牲になった人質テロ事件。事件が起きて1週間以上が経過、伝えられる凄惨さには耳を覆いたくなる。亡くなった方には心から哀悼の意を表したいが、その死を無駄にしないためにもここで指摘しておきたい。日本人は狙われた。そして狙わせた。
●日本人犠牲、シナリオ通り
「イスラム教徒か。バングラデシュ人か」。実行犯はこう問いかけ、イスラム教徒の聖典コーランの一節について公用語であるベンガル語で尋ねたという。イスラム教徒だと分かれば、見逃し一部は開放したが、その逆であるとわかれば刃物や銃で殺害していった。そのやり口の卑劣さは狂気の沙汰としか思えないが、実はそうではない。計画は練りに練られ、外国人たちは計画通り殺されていった。実行犯たちは終始、クールだった。
ここで押さえておきたいのは、事件を実行したイスラム過激派のメンバーたちが、かなりの知識層だった点だ。有名大学な私立大学で学んでいた若者たちで、家庭も比較的、裕福なものたちだった。つまり、人質が日本人であることをきちんと理解し、日本人であるがために殺した。
実際、現場にいた人の証言から亡くなった日本人の1人は「私は日本人だ」と叫んだことがわかっているが、その言葉に実行犯たちは耳も貸さずに刃物を振り下ろした。この現実をどう見るかだ。少なくとも10年前なら結果は違った。日本人だと言えば、命までとられることはなかった。ましてやバングラデシュの社会的インフラを整備するために、やってきた日本人たちである。救われたはずだ。
●日本は敵国
いったい何が変わったのか。日本は敵国になったのだ。IS(イスラム国)の敵として明確にリスト入りを果たしたのだ。その転機となったのが昨年の安保安全保障関連法案(安保法案)の可決。集団的自衛権を認め、世界のどこへでも自衛隊が出かけて戦争ができる体制を整えてしまったのだ。日本はISを脅かす国になった。だから狙われた。
安倍政権は日本をそういう国にした。テロと戦う国、テロに狙われる国にしたのだ。今回の選挙で与党が勝てばさらに日本の右傾化が進む。それを国民は望むのか。選択を見守りたい。(了)
5兆円がまた消えた
また5兆円が消えた。国民年金などの積立金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が今年4月からたった3カ月間で、5兆円もの運用損を出したのである。英国の欧州連合(EU)離脱で株価が急落したのが原因だ。GPIFは昨年度も5兆円の運用損を出したばかり。国内や国外の株式での運用比率を高めた安倍政権の政策が完全に裏目に出ている。
●年金をジェットコースター運用
お金には二種類ある。損してなくなってもいいお金と、決して無くしてはならないお金である。お年寄りの老後を保障する年金は、我々庶民にとってはいわば命綱。決して、なくしてはいけないお金に属する。安倍政権はそれを知らない。
確かに安倍政権が主張するようにGPIFは損ばかりしているわけではない。おととしまでは利益の方が大きく、総額では38兆円のプラスである。ただ、だからといって問題がないとは言えない。ジェットコースターのように儲けたり、損したりするようなお金の運用は、年金のように決して損してはならない性格のお金にはそぐわないのだ。
なのにアベノミクスの効果を水増ししてみせたいがために、ルールを変更してまで年金をリスク市場に投入する。その無謀さ、思慮の浅さが問題なのである。
●運用損、公表は選挙の後
不可思議なのは自民党が15年度の運用損の正式な公表を7月29日まで先延ばしにしていることだ。例年ならGPIFの運用結果は7月の上旬に公表している。「こんなに得をした」と吹聴して回っている。今回はわざわざ1カ月近くもずらし、参議院選挙の後に振り替えている。
おかしいではないか。仮に15年度もプラスがでていたら、公表は選挙の後だっただろうか。作為的に選挙の後にずらしたと考えるのが自然だ。
憲法改正にしても安保法案にしても、この政権、かなりおかしい。これほどまでに赤裸々に国民を愚弄した政権はかつてなかった。この政権を勝たしてしまったら、庶民はおろかだと認めることになる。 (了)
200円カレーと5兆円
新潟市に本社を置く「原価率研究所」。この会社の売りは税込み1皿200円のカレーライスだ。年初にオープンした東京1号店には行列ができるという。漠然とした将来への不安を拭いきれないビジネスマンは生活防衛にやっきだ。そんな庶民を尻目に「株で5兆円もスッてしまった人がいる」というから驚きだ。いったい誰?
●年金5兆円が消失
答えを明かしてしまおう。その人とはGPIF、すなわち年金積立金管理運用独立行政法人だ。6月30日の運用委員会で2015年度の公的年金積立金の運用成績を厚生労働省に報告したところ、5兆円を超える運用損が発生したという。
「5兆円なんて随分、景気のいい話だ」と笑ってはいられない。なぜなら、このお金、国民年金と厚生年金の積立金だからだ。国民が老後に必要な、どうしてもなくてはならないお金が、5兆円も消失してしまったのだ。見過ごしていいはずはない。どうしてこうなった。
まず、抑えておかなければならないのがGPIFが運用する積立金の規模だ。ざっと140兆円。日本の一般会計税収(2016年度=57兆6000億円)の2倍強にあたる。これだけのお金をGPIFは株式のほか、国債、外国株などで運用しているが、運用しているお金が年金であることから、これまで政府は運用益よりも安定性を重視してきた。変動幅の大きい日本株や外国株ではなく、利回りは低くても安定している国債などに比重を置いてきたのだ。
ところがだ。安倍政権がこれを一気に切り替えた。利回りが低い代わりにリスクも低い国内債券の比率を60%から35%にまで引き下げ、その一方で、株式での運用の比率をこれまでの2倍の50%にまで引き上げたのだ。大量の年金マネーが株式市場になだれ込んだのである。
年金マネーは株式市場で「クジラ」と呼ばれ、その流入は大いに歓迎された。株価上昇を下支えどころかけん引役となり、それがアベノミクスの成果としてもてはやされた。しかし、それもつかの間。昨年8月の、人民元の切り下げを受けた世界同時株安「チャイナ・ショック」の影響で、巨額の損失を出してしまった。ここに今後、英国の欧州連合(EU)離脱問題が追い打ちをかけ、損失はさらに拡大していくことだろう。
●アベノミクスのウソを暴け
アベノミクスの正体とは、とどのつまりが「円安と株髙」。結局それは国民のお金を使って演出されたに過ぎない。日本の経済が世界と無縁であるはずもなく、お金を無理に注入して底上げされたニセモノ相場は、中国や英国、欧州連合(EU)などが揺らぐたびに、震え上がる。皮肉にもそれはアベノミクスが標榜するグローバル化が、進めば進むほど直接的になる。
この5兆円の巨額損失は、アベノミクスのウソを見破る入り口となる。人様のお金を拝借し、それを使って自分の成果を演出するなど、なんと姑息なことか。国民はこの事実を見逃してはならない。櫛名田姫がまたアベノミクスという大蛇(オロチ)に食われたのである。5兆円も。さあ、どうする。アベノミクスはこれを反省することはない。株式市場に刺激を与えるため、さらにニューマネーを投入する政策をとるだろう。それを許すのか。見逃せば、すべてを食わせてしまうことになる。(了)