琴言譚®︎[きんげんたん]

今、救世主なら語る

山は動かぬと誰が決めた

 「バーナムの森が動かない限りあなたは安泰だ」。シェークスピアの4大悲劇の1つ「マクベス※」で主人公である王マクベスに予言者が語った言葉だ。マクベスはこの言葉で自らの治世(ちせい)の永遠が約束されたと確信したが、結果は違った。森は動いたのだ。マクベスは自暴自棄となり最後に敗死する。そんな悲劇が今、この日本でも起ころうとしている。九州電力が8月に再稼働させた川内原子力発電所だ。九電は「山(桜島)は動かない。原発は安全だ」というのだが。「山は絶対に動かない」と誰が決めた?金龍の頭に火が入ったこの時代に……。


九電川内原発、再稼働へ

 9月10日、九電川内原発1号機(鹿児島県)が営業運転を始めた。国内原発の営業運転は2013年9月に大飯4号機(福井県)が停止して以来、2年ぶり。このまま行けば川内原発2号機も最短で10月14日には再稼働する見通しだ。これにより、九電は2015年4~9月期の連結最終損益が450億円の黒字(前年同期は359億円の赤字)になる見通し。瓜生道明社長は「電気料金を上げない」ことを表明、原発の再稼働が一般家庭に恩恵をもたらすことを印象づけた。

 川内原発の再稼働は単に九州という1地方の問題ではない。この2年間沈黙を強いられてきた電力業界がようやく「原発稼働ゼロ」の壁に風穴を空けたことを意味する。原発ゼロの暗闇に画期的な火を九電がともしたのだ。

 不思議なことに原発の火はいつも九州からともる。プルトニウムウランを混ぜて原発で燃やすプルサーマル発電も2009年11月、九電が全国で先陣を切って玄海原発佐賀県)で始めた。プルサーマル発電に使用するMOX燃料にはウランの10万倍のアルファ線を発するプルトニウムが含まれる。このため、危険度は通常の原子力発電に比べ格段に増すが、その危険なプルサーマル発電を東京電力関西電力を差し置き、九電がやってのけたのだ。

 こうした経緯もあって電力業界のなかで九電は特別な立ち位置にある。少なくとも単なる地方電力のポジションにはとどまっていない。東電、関電、中部電力という中3社と呼ばれる中核企業をサポート、業界の苦境を打破するリーダー的な役回りを与えられてきた。九電にもその自負はある。だから今回も急いだ。ひな型をつくろうとつっぱしった。再び原発稼働は九電を起点にドミノ式に全国に広がり、原発はベース電源としての地位を復活させる動きに入った。九電は見事に先鋒を務めたと言える。


●金龍神が動き出す

 ただ、九電が先駆けたおかげで、このまま原発は再びかつての地位を取り戻すのかと言えばそれは難しい。日本列島という金龍神体が活動期に入った今、それは許されない。とりわけ、問題なのは山だ。今回、象徴的だったのは桜島で、九電川内原発が稼働を始めるとともに活動を活発化させ、噴火警戒レベルは「4」にまで上昇した。とりあえず落ち着いてはいるものの、これを偶然と片付けてしまうなら、原発を運転する資格はない。

 そしてもっと資格がないのは原子力規制委員会だ。この委員会では「火山影響評価ガイド」を定め、原発の運用期間中に巨大噴火が生じる可能性が十分に小さいとする根拠を示すよう求めている。それなのに今回は、その議論はほとんどないままに、川内原発の再稼働を認めている。火砕流原発に到達する前に核燃料をどう搬出、安全な地点にまで搬送するのか、間に合わなかった場合に原発は安全なのかどうか、など根本的な議論をしないまま、原子力規制委員会は再稼働を認めているのだ。いたいこの規制委員会は何を規制しているのだろうか。

 かつて九電プルサーマル発電を推し進めようとしていたころ「原発は本当に安全なのか」の問いに対して、「それは電力会社が関知する話しではない。プラントメーカーに聞いてくれ。うちはただ、運転しているだけだ」と答えたことがある。そして「あなたは、自分の車が安全だと自分で証明できないのに、車を運転しているでしょう。それと同じだ」と続け、さらに「こう説明すればあなたでも理解できるでしょう」と返してきた。その無知と傲慢さと無責任ぶりには驚くばかりだが、こうした電力会社が日本のエネルギー政策をになっているのが現実である。この暴挙に歯止めがかからないはずはない。

●山は動く

 九電は桜島が川内原発の稼働に「いささかの影響を与えることはない」とスタンスを崩そうとはしない。しかし、人知を越える火山の噴火の可能性を1電力会社が、断定することなど不可能だ。川内原発と桜島との距離はわずか50キロメートル。実際、川内原発の敷地内には2万8000年前、桜島ができる起源となった姶良大噴火の火砕流が流れ込んだ痕跡があり、再び桜島が噴火すればその火砕流が簡単に原発の敷地にまで入り込むことは立証ずみだ。

 マクベスは木の枝を隠れ蓑にして進んでくるイングランド軍を、森と見間違え「森が動いた」と錯覚した。「森が動かない限り安泰だ」という予言者の言葉の裏付けを失ったと思い込んだ。人は常に間違える存在なのである。マクベスのように。

 しかし怖いのは原発はこうした人間の間違えを許さないことだ。ほんのささやかな小さなミスも見過ごさず、つけいり、傷口を広げ、放射能を排出する。絶対性を必要とする原発を、相対的な存在である人間がコントロールすることは不可能だ。皮肉なことにこのことだけは絶対である。
 そのタブーに九電は再び挑もうとしていることに気がつかなければならない。今、まさに起き上がろうとしている金龍神体の頭の位置で。その試みの愚かさはいずれ明らかになるはずだ。警告しておく。「森(山)は動く」――。(了)
『丘の上から近づくノーサンブリア軍を眺めるマクベス』《ジョン・マーティン作》

※「マクベス」(wikipedia)より……
 『マクベス』(Macbeth)は、1606年頃に成立したウィリアム・シェイクスピアによって書かれた戯曲である。勇猛果敢だが小心な一面もある将軍マクベスが妻と謀って主君を暗殺し王位に就くが、内面・外面の重圧に耐えきれず錯乱して暴政を行い、貴族や王子らの復讐に倒れる。実在のスコットランドマクベス(在位1040年–1057年)をモデルにしている。《詳細はこちら↓》
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