琴言譚®︎[きんげんたん]

今、救世主なら語る

ローマは休日で滅んだ 1

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働き方改革が社会的な流れになりつつある。「1日の労働時間を8時間」と定める現行の労働基準法の順守を促すもので、大企業を中心に「休むことはいいことだ」といわんばかりに半ば強制的に社員を早く帰す会社が急増している。余暇を楽しみ、明日への英気をきちんと養う。もちろんいいことだ。しかし、思い出して欲しい。ローマは休日で滅んだ。休日は毒にも薬にも、そして劇薬にもなる。

 

長時間労働こそ美徳?
 財務省が大蔵省と呼ばれていたころ、深夜になると中庭にバスが停車するのが慣例になっていた。午前1時便、2時便、3時便……。終電を逃した役人たちを宿舎にまで運ぶバスで、バスの中で出発を待つ役人たちは座席に座ったまま眠り込んでいた。疲れ切りぐったりと首をうなだれながらも、国を動かす醍醐味と、仕事をやり切った達成感に満たされているようでもあった。
 ただ、役人の世界は陰険であり残酷でもある。中央官庁の採用には上級職とそれ以外に大きくわかれる。いわゆる「キャリア」と「ノンキャリ(キャリアにあらず)」という言葉に集約されるように1年ごとに出世していくキャリアに対して、ノンキャリはどんなに優秀でも課長より上にはなれない。ノンキャリは責任を持たされていないためにテレビ局や新聞社の取材に答えることすら許されない。コピーをとるだけ。しかも扱えるのは「極秘」ではない公開文書だ。
 ノンキャリをうまく働かし、その成果で出世が決まるキャリアは時としてすさまじい手をつかう。「背広かけ」。夕方6時にもなるとキャリアは宴席に出かけるが、その際、さりげなく背広を椅子にかけておく。そして何もいわずに消える。下にいるノンキャリたちは上司が帰宅したのか、中座しているだけなのか判断がつかない。ただ、背広がある以上は「また、帰ってくる」という意思表示だ。ノンキャリたちは家に帰れず、椅子にかかった背広を恨めしそうに眺めながら仕事を続けることになる。
 中央官庁の課長や課長補佐クラスになると省令1つで業界を動かす。例えば金融庁の課長であればまだ30歳代でも床の間を背負い、監督する銀行の頭取クラスと銀座の高級料亭で連日宴席というケースも少なくない。もちろん悪いわけではない。貴重な情報交換の場なのだから、まるっきり「悪」とも決めつけられない。意見を戦わせた末、優秀な頭脳を駆使し日本を健全な方向に導く省令や法律を作りあげてくれればそれで結構だ。宴席は法令に違反しない範囲でどんどんやってもらえればいい。
 災難なのはキャリアが宴席でくつろいでいる間、仕事をし続けるノンキャリたちだ。キャリアは宴席が終わるとまた銀行が用意した運転手付のハイヤーで送ってもらい役所に帰ってくることもしばしば。帰るに帰れないノンキャリを一瞥し、椅子にかけた背広を着て今度は役所からタクシーで本当に家に帰る。これで、ようやくノンキャリも帰れる。
 こんな悲惨なノンキャリの仕事はなくした方がいい。帰らないために見つけてやる仕事など、仕事とはいえない。キャリアがどこで何をしてようが、ノンキャリはノンキャリ。さっさと帰って英気を養ったほうがいい。働き方改革はどんどん進めるべきだ。

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●問われる労働の実質性
 ただ、すべてがそうかといえばそうも言えない。時間に拘束されてはならない仕事もある。寝食を忘れて没頭する仕事ぶりがあってこそ生まれる技術革新もあり、日の目を見る新商品開発もある。そこをお座なりにしての働き方改革なら、進めるのは危険だ。労働はその実質性こそ重要なのだ。時間ではない。
 「日本人は働き者で休まない。少し日本人も休んだほうがいい」。そう考えている方に衝撃的な事実をご紹介しよう。実は日本人の生産性は世界的に見て極めて低い。
 先進34カ国で構成されるOECD経済協力開発機構)加盟国の2012年の労働生産性を見ると日本の労働生産性は7万1619㌦で、OECD加盟国34カ国中で21位。GDP(国内総生産)では米国、中国について3位なのに、1人当たりの生産性となるとがくんと落ちてしまう。さらに就業1時間あたりで見た日本の労働生産性は40・1㌦(4250円)とOECD加盟34カ国中で第20位だ。
 「生産性が低いなら長時間労働で補うしかない」というつもりはない。ただ、労働時間を短縮するなら、この生産性の問題にメスをきちんと入れなければならない。そこを放置しながら、休みだけ増やしてしまえば経済大国ニッポンは1夜にして滅ぶ。「日本人は勤勉で優秀」はデータの上ではすでに幻想だ。その幻想を信じ、慢心しているといずれ日本人は手痛いしっぺ返しを食らう。いったん低下した競争力を取り戻すことは並大抵ではない。国の力を「働き方改革」のブームにのって弱めてしまってはならない。ここは思案のしどころなのである。
(了)