琴言譚®︎[きんげんたん]

今、救世主なら語る

「人」に「良」と書いて「食」

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ようやくだ。4月から鯨肉のインターネット販売が始まる。7月には商業捕鯨が再開、事業者が自分でとった鯨肉の販売価格を自由に決められるようになる。鯨肉は鯨肉。しかし、これからは価値が違う。調査捕鯨と銘打ちながら、こそこそ売る鯨肉ではなく、堂々と商業捕鯨といい我が国の領海内でとった鯨肉を売る。誰に遠慮がいろうか。


●IWC脱会は英断
 昨年の国際捕鯨委員会(IWC)脱退の決定は久々の英断だった。捕鯨国の意見を全く認めず、一方的に反捕鯨を押しつけてくる組織に営々と居続けることの愚をよやく日本政府は悟った。脱会はむしろ遅すぎたくらいである。
 おかげで日本は自由に鯨をとることができるようになる。もちろんそれは日本の領海内での話ではあるが、幸いなことに日本の海は広い。陸地となると確かに日本は小さいが、しかし海となると話は違ってくる。排他的経済水域EEZ)では世界で上から6番目。この広い海がもたらす恩恵は計り知れない。反捕鯨を掲げる日本人の意見のなかにはIWC脱会により南極海での捕鯨ができなくなることを理由にする場合があるが、何のことはない。EEZがある。
 しかも、重要なのは調査捕鯨ではなく、商業捕鯨だということだ。表向き「調査」と言いながら、そこで捕った鯨を結局最後は食べる、しかも本来はそれが目的だとするなら、どうも日本らしくない。堂々と「食べるために捕る商業捕鯨でございっ!」と宣言し、捕鯨を続けるべきだ。7月からはそれができる。実に日本らしい、結構なことである。何を恐れる必要があろうか。
 実際、IWC脱会を決めた当初はオーストラリアなど海外からあれこれ批判する声もあがったが、今はすっかり下火になった。捕鯨は日本国の文化、食生活そのものであり、食糧安全保障そのものなのである。とやかく言われる筋合いではないし、言えるものでもない。仮に言われても言わせておけばよいのだ。


国際連盟脱会と混同するな
 にもかかわらず「国際的に協調性を欠く」「日本が孤立する」などといった声がいまだに国内でくすぶっているのは残念だ。「国際機関からの離脱は戦前の国際連盟以来。満州事変は侵略だとして撤兵を迫られ、松岡洋右(ようすけ)首席全権が連盟総会を退席した一件とも重なる」との意見も消えない。日本の食文化を守る問題と隣国への侵略の正当化の問題を混同し悦に入っているとしか思えない。
 そのせいか政府もおかしい。農林水産省はせっかく商業捕鯨が再開するというのにわざわざ鯨種ごとに年間の上限を設けるという。ミンククジラ、ニタリクジラ、イワシクジラなど鯨の種類ごとに捕獲頭数を決めるのだ。大きな御世話である。鯨など掃いて捨てるほどいる。エサに困り間違って浜辺に上がってくるほどなのだ。
 さらにIWCは脱退しても日本が締約する国連海洋法条約の縛りを主張する向きもある。65条で捕鯨は「管理や研究のために適当な国際機関を通じて行う」ことを規定しているために「IWCと連携しなければ捕鯨はできない」。全くの亡国論だ。
 これまで自動車や電機などに比べ「食」は軽んじられる傾向が強かった。しかし、腹が減っては車は造れないし、クーラーだって組み立てられない。まずは国民が飢えないことだ。戦時中じゃ、あるまいしとの意見もあるだろうが、それは分からない。いつそんな状態になるか分からないではないか。食こそ国を成り立たせる重要な要素、その政策を他国の顔色を伺いながら決めるものではない。
 「食」という字をよく見て欲しい。「人」の下に「良い」と書く。食が良くなければ国も人も良くならない。そこを良く考えて欲しいのである。(了)

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