琴言譚[きんげんたん]

今、救世主なら語る

東芝事件が狂わせたウォール街のシナリオ

歴代3社長がそろって辞任する異例の事態となった東芝の不正会計問題。グループ売上高6兆円の巨大企業の不祥事は政財界の「関係者」に大きな衝撃を与えた。そのなかでも、最も大きな衝撃を受けた1人が西室泰三※だろう。

経団連副会長、東京証券取引所会長を務めた大物で東芝の相談役。

出身母体の前代未聞の不始末はこの財界人の動きを完全に止めた。そのことは日本の経済界にとってプラスだったのか、マイナスだったのか……。

判断は分かれるが、1つだけ確実に言えることがある。ウォール街のシナリオが崩れたということだ。

西室泰三は1961年に慶応大経済学部を卒業後、東京芝浦電気(現東芝)に入社、主に国際畑を歩いた。

圧巻だったのは1990年代前半のDVD規格争いで、ソニー・フィリップス連合を打ち負かしたこと。
この時の交渉力が評価され1996年に8人抜きで社長の座についた。

社長在任期間は4年間だったが、決して順風満帆とは行かず、総会屋への利益供与事件や半導体事業の不振に見舞われ、業績も伸び悩んだ。

ただ、会長、相談役と時を重ねるごとに財界での存在感は増した。
現在は日本郵政の社長も務める。


頭の回転の速い能吏だが、温厚な性格で笑顔を絶やさないジェントルマンでもある。
能力、人格、見識のいずれにも非の打ち所がないうえ、今回の不祥事でも西室氏の社長在任期間には不正がなかったことから責任を問う声はほとんどない。
本人も一線から身を引く気は毛頭なく、事件の感想を聞かれた記者会見の席上では「あんなことがあってはいけない。非常に大きなショック。悲しい」と第三者の立場を装い、安倍晋三首相に対しても戦後70年談話に関する有識者会議のメンバーの夕食会で「東芝は責任を持って再生させます」と東芝を代表する形で誓った。

しかし、残念ながら会計処理事件で、西室氏の影響力が低下することは間違いない。
東芝の信用が失墜することは、西室の信頼も損なわれることを意味するからだ。
そしてこのことは日本郵政をも直撃する。日本郵政は昨年12月、傘下のゆうちょ銀行とかんぽ生命を含む3社の株式を今秋に同時上場する計画を発表しているが、こうなるとその上場計画にすら今回の不正会計処理事件は影響を及ぼしかねない。

実際、西室は東芝の常任顧問の村岡富美雄氏を社外取締役に迎え入れ、上場準備を加速させようとしていたが、このもくろみが崩れた。

不正会計処理問題を憂慮した総務省が待ったをかけ、結局、最後は村岡氏自身が辞退を申し入れる事態に追い込まれてしまったのだ。

西室は孤立無援のまま今秋の上場に挑むことになるのだが、ここで重要なのは上場準備を盾に西室が進めようとしていた郵政改革が、今回の不正会計処理事件で大きくスピードダウンしてしまうことだ。

例えば日本郵政グループは世界最大級の機関投資家で、資産はゆうちょ銀行が205兆円、かんぽ生命保険が84兆円にものぼるが、西室はこの巨額の資産について、「もっと積極的に運営すべきだ」と主張してきた。

運用先を日本国債の購入などだけでなく、もっと利益の上がる株式投資や外国債の購入などに振り向けなければ、ゆうちょ銀行に貯金しているお年寄りやかんぽ生命保険の加入者に不利益になるというのだ。

そのために元ゴールドマン・サックス証券の幹部を招き、日本の国内で集めたお金を世界市場に投資していく「国際分散投資」を加速させる腹づもりだった。

しかし、今回の事件で、このシナリオが崩れた。日本のお金を今よりもリスクは高いがリターン(見返り)の大きい金融商品に投入する計画は大きく失速する。
これは一見、日本郵政がようやく踏みだそうとしていたグローバル化にまたストップがかかったように見える。確かにそうかもしれない。しかし、そのことは日本にとって忌々しきことなのだろうか。

実はそうではない。危うく難を免れているのだ。

まず、ゆうちょ銀行やかんぽ生命にお金を預けたりかけたりする人のなかには高齢者や地方の人たちも多く、そういった人たちは、リスクの高い積極的な運用など望んではいない。
こうした人たちのお金の性質上、安心で安定した資産管理こそ最大の便益でありサービスなのである。

さらにもう1つ見落としてならないことは、日本郵政グループがお金を海外投資に振り向けるということはその分、日本の国債の購入が減ってしまうということだ。

そうなれば長期金利の上昇圧力が高まるリスクが発生する。
なぜなら日本の長期金利国債の利回りを基準に決まっているからだ。
日本の長期金利の利率は国債の利回りに一定程度上乗せして決まる。

仮に日本郵政グループが国債を買わなくなれば、その分、日本郵政の代わりに第三者に国債を購入してもらえるよう利回りを高く設定し直さなければならない。

そうなれば国債の利回りの上昇につられて長期金利も上昇、低金利に支えられてきた日本の経済の歯車は逆に回りはじめてしまう。

西室が言うように、日本郵政の資産運用が海外の比重を高めれば高めるほど、日本国内の金融の調整弁の機能が損なわれてしまうのだ。

東芝は確かに日本を代表する大企業ではあるが、あくまでも1民間企業にすぎない。
そのトップだった西室には、日本郵政が持つ国の金融調整機能の大切さに思いが至らない。
あるいは重要だとは考えていないということだ。これが恐ろしいところである。

もともと日本郵政がもっていた国を支える力を放擲させ、単なる利益集団に体質転換させてしまう民営化の正体がここにある。西室が進めていた民営化は確かに日本郵政ドイツポストと並ぶ世界企業に成長させるかもしれない。しかし、その陰で日本という国が捨てられてしまうのだ。

ではなぜ、西室はそう動くのか。答えは米ウォール街だ。

長い米国駐在経験を持つ西室は、米国流の思考を徹底的に磨き、米ゼネラル・エレクトリック(GE)のトップを務めたジャック・ウェルチなど米政財界人やウォール街との人脈を丹念に築いた。

信頼感は日本のどの財界人にも劣らず、その人脈こそが、西室の真骨頂なのだ。日本郵政の社長に西室が座ったのも、民営化を望む米ウォール街と通じた人材だからだ。当然、西室は民営化を急ぐ。それが西室の使命だからだ。

こんな話がある。日本郵政は今年4月、米IBM・米アップルと高齢者の見守りサービスを展開することで合意した。米2社開発した専用アプリ(応用ソフト)を搭載したタブレット端末を使い、日本の高齢者見守りサービスを実施するというのだ。

サービスは2016年から始まる予定だというが、このニュースを聞いて、自分の老後を最新鋭の米IBMや米アップルのタブレットに託そうと考えた人はそういないだろう。そんな老後を提供してもらうために日本郵政は民営化されなければならないのか。

それはいったんおくとして、ここで面白いのはIBMの最高経営責任者(CEO)のバージニア・ロメッティとアップルCEOのティム・クックが、この見守りサービスの合意を受け、西室とともに記者会見に顔を出したという事実だ。これだけの米経済界の大物が日本の案件で二人そろって記者会見に登場することはまずない。

少なくとも首相安倍ではあり得なかったことだ。しかし、西室なら出てきた。これを見てもいかに西室が米政財界に顔がきくかわかるだろう。

その西室が今回の不正会計処理事件で失脚した。かつてのような影響力は持ち得ないだろう。東芝が主導した原発ビジネスの世界戦略が狂ったように、日本郵政の民営化、グローバル化にも待ったがかかった。ここにも「神の見えざる手」(アダムスミス)が働いている。=敬称略(了)

※西室 泰三(にしむろ・たいぞう)略歴【日本郵政HPより】
https://www.japanpost.jp/corporate/officers/index06.html