ミサイル?「Et alors(それが何か?)」
クリントンメールが暴いた真実
集団的自衛権が引き寄せたもの
金くさい「郵貯の7人の侍」
あなたはコオロギを食べますか
自然に帰れ、東芝
中国の舌は米国の舌
『公私混同』こそ大蛇のレシピ
櫛名田比売が泣いている
SUN(サン)マが決める国の盛衰
山は動かぬと誰が決めた
「バーナムの森が動かない限りあなたは安泰だ」。シェークスピアの4大悲劇の1つ「マクベス※」で主人公である王マクベスに予言者が語った言葉だ。マクベスはこの言葉で自らの治世(ちせい)の永遠が約束されたと確信したが、結果は違った。森は動いたのだ。マクベスは自暴自棄となり最後に敗死する。そんな悲劇が今、この日本でも起ころうとしている。九州電力が8月に再稼働させた川内原子力発電所だ。九電は「山(桜島)は動かない。原発は安全だ」というのだが。「山は絶対に動かない」と誰が決めた?金龍の頭に火が入ったこの時代に……。
9月10日、九電の川内原発1号機(鹿児島県)が営業運転を始めた。国内原発の営業運転は2013年9月に大飯4号機(福井県)が停止して以来、2年ぶり。このまま行けば川内原発2号機も最短で10月14日には再稼働する見通しだ。これにより、九電は2015年4~9月期の連結最終損益が450億円の黒字(前年同期は359億円の赤字)になる見通し。瓜生道明社長は「電気料金を上げない」ことを表明、原発の再稼働が一般家庭に恩恵をもたらすことを印象づけた。
川内原発の再稼働は単に九州という1地方の問題ではない。この2年間沈黙を強いられてきた電力業界がようやく「原発稼働ゼロ」の壁に風穴を空けたことを意味する。原発ゼロの暗闇に画期的な火を九電がともしたのだ。
不思議なことに原発の火はいつも九州からともる。プルトニウムとウランを混ぜて原発で燃やすプルサーマル発電も2009年11月、九電が全国で先陣を切って玄海原発(佐賀県)で始めた。プルサーマル発電に使用するMOX燃料にはウランの10万倍のアルファ線を発するプルトニウムが含まれる。このため、危険度は通常の原子力発電に比べ格段に増すが、その危険なプルサーマル発電を東京電力や関西電力を差し置き、九電がやってのけたのだ。
こうした経緯もあって電力業界のなかで九電は特別な立ち位置にある。少なくとも単なる地方電力のポジションにはとどまっていない。東電、関電、中部電力という中3社と呼ばれる中核企業をサポート、業界の苦境を打破するリーダー的な役回りを与えられてきた。九電にもその自負はある。だから今回も急いだ。ひな型をつくろうとつっぱしった。再び原発稼働は九電を起点にドミノ式に全国に広がり、原発はベース電源としての地位を復活させる動きに入った。九電は見事に先鋒を務めたと言える。
ただ、九電が先駆けたおかげで、このまま原発は再びかつての地位を取り戻すのかと言えばそれは難しい。日本列島という金龍神体が活動期に入った今、それは許されない。とりわけ、問題なのは山だ。今回、象徴的だったのは桜島で、九電の川内原発が稼働を始めるとともに活動を活発化させ、噴火警戒レベルは「4」にまで上昇した。とりあえず落ち着いてはいるものの、これを偶然と片付けてしまうなら、原発を運転する資格はない。
そしてもっと資格がないのは原子力規制委員会だ。この委員会では「火山影響評価ガイド」を定め、原発の運用期間中に巨大噴火が生じる可能性が十分に小さいとする根拠を示すよう求めている。それなのに今回は、その議論はほとんどないままに、川内原発の再稼働を認めている。火砕流が原発に到達する前に核燃料をどう搬出、安全な地点にまで搬送するのか、間に合わなかった場合に原発は安全なのかどうか、など根本的な議論をしないまま、原子力規制委員会は再稼働を認めているのだ。いたいこの規制委員会は何を規制しているのだろうか。
かつて九電がプルサーマル発電を推し進めようとしていたころ「原発は本当に安全なのか」の問いに対して、「それは電力会社が関知する話しではない。プラントメーカーに聞いてくれ。うちはただ、運転しているだけだ」と答えたことがある。そして「あなたは、自分の車が安全だと自分で証明できないのに、車を運転しているでしょう。それと同じだ」と続け、さらに「こう説明すればあなたでも理解できるでしょう」と返してきた。その無知と傲慢さと無責任ぶりには驚くばかりだが、こうした電力会社が日本のエネルギー政策をになっているのが現実である。この暴挙に歯止めがかからないはずはない。
●山は動く
九電は桜島が川内原発の稼働に「いささかの影響を与えることはない」とスタンスを崩そうとはしない。しかし、人知を越える火山の噴火の可能性を1電力会社が、断定することなど不可能だ。川内原発と桜島との距離はわずか50キロメートル。実際、川内原発の敷地内には2万8000年前、桜島ができる起源となった姶良大噴火の火砕流が流れ込んだ痕跡があり、再び桜島が噴火すればその火砕流が簡単に原発の敷地にまで入り込むことは立証ずみだ。
マクベスは木の枝を隠れ蓑にして進んでくるイングランド軍を、森と見間違え「森が動いた」と錯覚した。「森が動かない限り安泰だ」という予言者の言葉の裏付けを失ったと思い込んだ。人は常に間違える存在なのである。マクベスのように。
しかし怖いのは原発はこうした人間の間違えを許さないことだ。ほんのささやかな小さなミスも見過ごさず、つけいり、傷口を広げ、放射能を排出する。絶対性を必要とする原発を、相対的な存在である人間がコントロールすることは不可能だ。皮肉なことにこのことだけは絶対である。
そのタブーに九電は再び挑もうとしていることに気がつかなければならない。今、まさに起き上がろうとしている金龍神体の頭の位置で。その試みの愚かさはいずれ明らかになるはずだ。警告しておく。「森(山)は動く」――。(了)
『丘の上から近づくノーサンブリア軍を眺めるマクベス』《ジョン・マーティン作》
※「マクベス」(wikipedia)より……
『マクベス』(Macbeth)は、1606年頃に成立したウィリアム・シェイクスピアによって書かれた戯曲である。勇猛果敢だが小心な一面もある将軍マクベスが妻と謀って主君を暗殺し王位に就くが、内面・外面の重圧に耐えきれず錯乱して暴政を行い、貴族や王子らの復讐に倒れる。実在のスコットランド王マクベス(在位1040年–1057年)をモデルにしている。《詳細はこちら↓》
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%99%E3%82%B9_(%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%94%E3%82%A2)
禁断のイチジク、花は安倍の〝実〟内で咲く
自民党が安倍晋三首相(党総裁)の総裁再選を決めた。消費増税、マイナンバー制導入、そして安全保障関連法の成立……。いずれも戦後日本の路線を大きく転換する政治的な決断だ。それを成し遂げた安倍首相はこれから3年という時間を手に入れ、「次は憲法改正」と打ち上げた。華々しい、実に華々しい――。それなのに不思議に花は見えない。まるでイチジクのように。
●折り込みずみの支持率低下
日本が攻撃されていなくても戦闘に参加できる集団的自衛権の行使を認める安全保障関連法。最高裁や内閣法制局関係者からの「明白な憲法違反」という批判を押し切った強引な法制化だっただけに、安倍政権も相当な体力を消耗した。各新聞社やテレビ局の調査でも5~10ポイント支持率を下げ、支持率30%台に突入した調査もある。
それでも支持率30%台は「黄色信号」の範囲内。「安全保障関連法」を強行すれば支持率が低下するのは予想された結果で、政権側も「これなら想定の範囲内」だろう。アベノミクスの名のもとに年間80兆円もの国富を市場(マーケット)に投入、官製相場で株価の急回復を演出し支持率を上げてきたのも、今回の強行採決に備え「のりしろ」を作っておくためだったと言える。
安倍政権にとってみれば「さて、これから再び支持をどう取り返すか」ということだろう。それを証拠に安倍首相が正式に再選された24日、「アベノミクスは第2のステージに移る」として経済最優先の政権運営を進める考えを表明、その骨格となる新たな「3本の矢」を発表した。それぞれの矢に「希望」「夢」「安心」の3つのキーワードを刻み、国民に示してみせたが、この3本の矢はいったい何を射抜こうとしているのか。本当に花は咲くのか。少し検証してみよう。
●日本版エンクロージャーが始まる
まず、1本目の「希望を生み出す強い経済」。2014年度に490兆円だったGDP(国内総生産)を600兆円にまで引き上げるという。そのために女性や高齢者、障害者の雇用を拡大、日本全体の生産性を引き上げる計画で、安倍首相は「1億人が活躍する社会を実現する」と表現した。
何とも不気味ではないか。まるで15世紀以降、英国で起こったエンクロージャー(囲い込み)をイメージさせる。毛織物工業がさかんになった英国で、羊を飼育するために農地から農民を追い出し、あふれた労働力が工場に追い立てられた。同じように日本でも家庭から主婦やお年寄り、体の不自由な人がオフィスや工場に追われ、そこに外国人やロボットが侵入してくる社会が来るのではないか。
おりしも国民に総背番号をつけるマイナンバー制度が導入される。一人ひとりの生産性がガラス張りにされ、GDPに貢献しない国民の居場所はないというのだろうか。
確かに英国で農地を追われた農民が後の産業革命を支えたとする学説はある。しかし、家庭から追い出した女性や高齢者、障害者を使って今さらに日本でどんな産業革命を起こそうというのか。「希望を生み出す」どころか「失う」内容である。
●「家」がほころぶ
2本目の矢は「夢を紡ぐ子育て支援」。現在1・4程度の出生率を1・8にまで引き上げるのだという。幼児教育の無償化はいいとして、ここで気になったのは「ひとり親家庭の支援」に言及したことだ。もちろんひとり親の子どもも平等に教育を受け、健やかに育つ環境を整えてもらう権利はある。ただ、これをわざわざ子育て支援として公式に表明するとなれば意味合いが異なってくる。事故や災害で両親のいずれかを失った子どもはともかくとして、親であることの自覚の薄い「シングルマザー」(シングルマザーがおしなべてそうだという訳ではないが)も国が「どんどん支援しますよ」というのはいかがなものか。国のもととなる「家」「家庭」の崩壊を助長することにはならないか。
最後の3本目の「安心につながる社会保障」という矢はどうか。高齢者の介護のため、会社を辞める「介護離職」をゼロにするという。確かに目標は立派だ。結構なことではある。しかり、どうやって実現するのか。財源はどうする。要介護度3以上で特別養護老人ホームなどへの入所を自宅で待つ待機者は現在でも約15万人いる。さらにこうした人々の数は加速度的に増えていくというのに、介護のための人材は慢性的に不足、仮に確保できたとしても、そうした人たちを雇うための財源を国は持たない。石油など資源開発で国がいっこうに稼ごうとしないためだが、結局、ゴリ押しすれば一段の消費増税で、若年層に負担をつけ回すだけになってしまう。こんな画餅を国民が信じるとでも思ったか。
●「実の内」で花は咲く
こう考えると、この3本の矢で国民の生活に花は咲きそうにない。仮に咲くとしても、継続される金融緩和の恩恵を受けられる富裕層、輸出余力のある大企業のトップ層など安倍政権の身内ばかり。つまり花はまるでイチジクのように安倍政権という「実」のうちでこそ咲くのである。
安倍晋三首相は24日の記者会見で「憲法改正は党是だ。改正に支持が広がるように与党において、自民党において努力を重ねていく」と述べた。2016年夏の参院選でも「公約に掲げていくことになる」と話した。「希望」「夢」「安心」の政策で経済を浮揚させ、「平和」のため憲法を改正するという安倍政権。これを国民はどう評価するのか。問われているのは国民である。
旧約聖書の創世記では「エデンの園で禁断の果実を食べたアダムとイヴは、自分たちが裸であることに気づいて、いちじくの葉で作った腰ミノを身につけた」とある。ここから禁断の果実はイチジクであるとする説があるそうだが、まさにこのイチジクを食らうのか、食らわないのか。来年の参院選はそのことが問われている。(了)
※『楽園のアダムとイブ』
17世紀初頭のフランドル絵画の巨匠ヤン・ブリューゲルと大画家ピーテル・パウル・ルーベンスによる共作の中で最も傑出した作品のひとつ。
安保法案とサンマ1匹のリアリズム
安全保障関連法案が参院本会議で成立した。これにより日本が直接、攻撃を受けなくても米国など同盟国が他国から攻撃を受けた場合、日本が加勢し共同で反撃することができるようになる。日本が米国から一方的に守ってもらうだけの「片務性」が解消され、日本も米国を積極的に支援することが可能になる。「守り、守られ」――。日米関係は緊密になり、結果的に国際社会での日本の発言権が増すというのだが、中国に奪われたサンマを1匹奪い返せない現実を政府はどう説明するのか。
ここで肝心なことは今回の法案成立は日本が戦後、貫いてきた安保政策の転換だったということだ。集団的自衛権の行使を認める今回の法案成立は、300万人以上もの人々の命と引き換えに日本が手に入れた戦争放棄をうたった「日本国憲法9条」と真っ向から対立する。
●政治はリアリズム
背景にあるのは自民党を中心とした政治家たちの「政治はリアリズム」との考え方だ。最高裁判事をはじめ司法関係者が安全保障関連法案を違憲と判断するなかで「法律上の考え方は分かった。しかし、責任政党として国を守るのは自分たちの役目だ」という思いが彼らの今回の強引な法案成立を下支えしている。
実際、中国との関係は緊迫している。「違憲だ、合憲だ」と青臭い書生論を振り回している間に尖閣諸島を実効支配され、日本という国家が切り崩されてしまっては元も子もない。憲法改正を目指した祖父・岸信介元首相の意思を受け継ぎ、リアリズムで国を守ろうとする安倍晋三首相の責任感は分からないでもない。
しかしだ。政治をリアリズムと主張するなら、現実は正確に見なければならない。何よりもまず日本は、戦後70年かけて世界のなかでようやく築き上げてきた「不戦国家、日本」との信頼感をかなぐり捨ててまで、米国に尽くす価値があるのかを精緻に考えてみる必要がある。
日本が理解しておかなければならないのは、すでに中国により日本は主権を蹂躙されているということだ。尖閣諸島海域に不審船を送り込み、複数回にわたって日本の領海を侵犯していることは主権の蹂躙に他ならない。にもかかわらず同盟国である米国は1㍉たりとも動いてはいない。気まぐれに政府高官のコメントを発表するだけのことだ。片務的に米国が日本を守ってくれるだけ、ということの方が書生論であり、まったくの机上の空論だということに気づかなければならない。これこそがリアリズムだ。
もっと言えば日本が、蹂躙されたのは領海権だけではない。2014年、福田康夫元首相が北京を訪問する少し前のことを思い出してもらいたい。尖閣諸島周辺海域に中国の鯖漁船が不法に侵入、サンゴを強奪していった際、米国は沈黙したままだった。習近平氏との会談をちらつかされた日本は萎縮し、いつもの「遺憾の意」を表明するだけだったが、この時、日本の領海権は侵犯され、国富は奪われていたのである。
●奪われた日本のダイヤモンド
ちなみに中国が強奪していった赤サンゴは日本珊瑚商工協同組合よると2014年は根が付いたものなら1キロ660万円とダイヤモンド並みの価格。根が折れたりして枯れた状態のものでは130万円だったという。領海にあいさつもなく入ってきた隣国に、これだけの国富を奪取されれば、すでに立派な主権の蹂躙である。自国の鉱山に無断に分け入り、ダイヤモンドを採掘していった隣国に黙っている国はどこにもないだろう。もし、今回のようなことが日本でなく英国やロシアの海域で行われたならすぐさま戦争行為に発展することは間違いない。
ただ、ことがサンゴなら庶民にとって実害は少ないかもしれない。しかし、サンマならどうだろう。先般、この琴言譚で、太平洋を北上してくるサンマが日本近海に到達する前に南の公海で中国と台湾の乱獲にあい激減している実態を紹介した。泳ぐサンマは公共財なのにこれを1国の漁船が我が物顔で独り占めし、他国の利益を侵害することは許されない。特にサンマは庶民の活力となるたんぱく源であるだけに意外に侮れない問題でもある。そのサンマを中国に強奪されたまま放置すれば、いずれ日本の国力はそがれ経済力は落ちる。
一見、小さいが見過ごすことのできない重要な問題なのだ。この問題を政府はどう解決するつもりだろう。9月3日に東京で行われた北太平洋漁業委員会の初会合では「急増する中国漁船の隻数を制限して欲しい」との日本側の主張を中国側は完全に無視した。
これを解決するために、集団的自衛権行使の見返りとして、米国から中国に対し「そのサンマ、日本に少し譲ってやってもらえないか」と交渉してもらうのだろうか。中東紛争に自衛隊を派遣し、そこでの犠牲を代償にサンマを回してもらうのだろうか。人を失う代わりいサンマを得るのか。それこそ世界の笑いものである。
人や企業の「グローバル化」は安倍首相の十八番である。ならば日本国のグローバル化はどうしたのだ。日米同盟の枠に閉じこもり、自ら1人で世界を相手に交渉しようとしない日本のグローバル化こそ遅れているのでないのか。サンマ1匹ままならないのに、世界貢献も何もないというものだ。(了)
サンマが見限る経済大国
秋の味覚「サンマ」が異常だ。初競りで1kg7万円の最高値を付け、その後も値段がなかなか下がり切らないのだ。9月に入っても平均産地価格は前年同時期の3倍近くにあたる600円程度。東京・築地でも900円(中心値)と高値だ。中国や台湾の乱獲で日本近海でのサンマが激減、奪い合いの状況が続く。さらば庶民の味……。衰退する経済大国にはサンマも寄りつかない。
あはれ
秋風よ
情(こころ)あらば伝えてよ――
「秋刀魚の歌」で佐藤春夫は谷崎潤一郎の妻との道ならぬ恋に苦悩する孤独を詠ったが、その恋の寂しさを演出する道具として使ったのがサンマ。確かに「秋風」、「許されぬ恋」、そして「サンマ」とくれば心にまで冷たい風が流れこんでくる心持ちになるが、そのサンマも1尾2300円ともなれば、様子が違ってくる。
いったい何が起こっているのか。最大の原因が中国と台湾の公海でサンマの乱獲だ。公海はどの国にも属さない海だから、操業を縛る規制は存在しない。それをよいことに経済成長で中間層の所得が上昇してきた「爆食」の中国や台湾が日本の5倍もの1000トンクラスの大型漁船で獲りまくっているのだ。
通常、秋になるとサンマは太平洋を経て日本海に近づく。日本漁船は近海の排他的経済水域(EEZ)にサンマが回遊してくるのを待ち、これを捕獲してきたが、その前に中国や台湾が先取りしてしまうのだ。日本のサンマ漁はさっぱり奮わない。2008年の34万3225トンをピークに減少が続き、2013年には14万7819トンとピーク時の半分以下にまでなってしまった。
半面、漁獲量が急増しているのは中国と台湾。中国の漁獲量は2014年までの2年間で約38倍の7万6000トン。台湾はさらにこれよりも多く、日本を上回る水準にまで増えている。
●日本を見限る台湾
問題なのは中国よりも台湾だ。台湾が獲ったサンマはまずは自国に振り向けるが、それでは当然、消費しきれない。その分を日本ではなく中国に持ち込んでいるのだ。冷凍にしたサンマのほか缶詰にも加工、国内総生産(GDP)で日本を抜き世界第2位の中国に輸出している。水産業者は価格はもちろんだが安定的に消費してくれる市場(マーケット)に卸したいのが本音。そういった意味では台湾の水産業者に日本よりも中国のほうが魅力的に映っているのは確かだ。
たかがサンマ、されどサンマ。ささやかな秋の楽しみが遠ざかった庶民にとっては寂しい出来事だが、日本がアジアの近隣国に見限られている証左なのだとすれば、さらに寂しい話しでもある。高騰するサンマに佐藤春夫も眉をひそめているかもしれない。(了)
※『佐藤春夫』《Wikipediaより》…https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E6%98%A5%E5%A4%AB
日中ガス田、日本はこうやって掘れ
緊迫感を増す日中ガス田共同開発問題に解決の糸口はあるのか。答えは「イエス」だ。「共同開発」することである。中国が話し合いのテーブルにつきもしないのにどうやって共同で開発するのか、との疑念をお持ちの方も多いだろう。しかし、できるのである。日中双方の海岸線から等距離の地点を結んだ日中中間線から日本側に1・5キロメートル入ったところで掘削し、これを「共同開発」と主張すればよいのだ。
『日本経済新聞2015/7/23より』※
●中間線から1・5キロに「解」あり
ポイントはこの1・5キロメートルという距離だ。この距離は中国が日本との取り決めを無視し、掘削作業を進めている春暁(白樺)と日中中間線の距離。この同じ距離だけ日中中間線から日本側に入り込んだところで日本側も掘れば良いのだ。
中国側は日中中間線をはみ出してきているわけではない。「その点では決して日本を完全に無視はしていない」。同程度の配慮を日本も中国にしたうえで、日本側の領海で日本も中国同様に掘削すれば、全くのイーブンであり、中国側も抗議のしようがない。
仮に抗議があっても2008年6月の日中ガス田合意に基づき「共同開発しているだけ」とすれば、中国もそれ以上は文句のつけようがない。なぜなら中国自身がその理屈で「共同開発」しているからだ。
中国側は日本と共同開発で合意した白樺ガス田を単独開発進めていることについて「中国は白樺(中国名、春暁)ガス田の完全な主権と管轄権と持っており、中国側の白樺(中国名、春暁)での活動は完全に道理にかない合法だ」と主張している。日本はその中国の理屈を逆手にとれば良いのだ。
日本は中国に抜かれたとは言え、国内総生産(GDP)で世界3位の経済大国。しかも、1979年から中国に対して3兆円ものODAを実施している。その中国に対し、この程度の主張を通せなければ、日本の外交力はないに等しい。
もちろん摩擦はあろう。しかし、ある程度の摩擦は覚悟する必要がある。2008年6月の日中ガス田合意によると、白樺プロジェクトなどは日本法人が中国の開発企業に出資、出資比率に応じて日本が利益を配分してもらうことになっている。開発の主体は中国に任せ、稼ぎの一部を「お裾分け」してもらう取り決めは、スタートからして弱腰だが、それすら完全に無視されている現状にあっては、もはや黙認しているわけにはいかない。今、この瞬間にも中国は石油を掘っているのである。
日本は謙譲の美徳を重んじる国柄だ。しかし、ここは譲る局面ではない。譲ればあまりに巨額の国富が消失してしまう。
●尖閣諸島周辺にイラク級の油田
その国富の巨大さを示す1つの証拠がある。1969年5月に国連・アジア極東経済委員会(ECAFE)の報告書だ。ここで1968年10月から11月末での間に東シナ海海底の調査を行った際の報告書で、「台湾と日本との間に横たわる浅海底は将来、世界的な産油地域となるであろうと期待される」と指摘しているのだ。報告書にある「浅海底」は尖閣諸島周辺の海のこと。ほぼ現在、中国が石油を掘削している日中中間線周辺エリアとつながっていると見ていい。日本側の調査によると尖閣諸島周辺海域の原油埋蔵量は1095億円バレルに達するといい、世界第2位の産油国であるイラクに匹敵する規模の油田が、ここに眠っているわけだ。
いずれ尖閣諸島周辺の油田開発は日本国の重要課題となるのは当然のことだが、尖閣諸島の巨大油田を守るためにも、今の白樺など日中共同ガス田開発で譲ってはならない。譲れば、「日本は弱腰」とみた中国側がさらにつけ込み、巨大油田のある尖閣諸島の「本丸」まで一気になだれこむ。中国への防波堤を築く意味でも、この共同ガス田開発で競り負けてはならない。
ただ、重要なことは米国をアテにできないということだ。米国が本当に日本の権益を守る気があるなら、すでに守っている。なにしろ、米国は大量破壊兵器を理由に「自衛」と称してイラクを先制攻撃、10万人を超える市民を犠牲にする国である。仮に本気なら中国が日本との「共同開発」の協定を破り16基もの石油掘削拠点を設けるのを黙ってみているはずはない。中国が日本の領海を侵犯、石油を盗み取るのを黙認しているとみるのが国際常識だろう。
●INPEXが新潟で油田開発
いずれにしても今、日本がこの閉塞感を打ち破るには、エネルギー問題に腰を据えて取り組む必要がある。それには「日本は無資源国」という古い常識を疑ってみることだ。
例えば今年4月、国際石油開発帝石(INPEX)が新潟県新潟市秋葉区で油田開発に成功している。これは単なる偶然か。地方都市とはいえ、市街地のなかから1日あたり300~380バレルの原油が産出される国が世界中のどこにあろうか。2017年度からは生産量をこの3倍の1日900~1140バレルにまで引き上げる計画だといい、東シナ海の日中ガス田共同開発にすがらなくても、エネルギー大国日本への道はすぐ足元にある。日本は決して無資源国ではないのだ。
それを証拠にこの国際石油開発帝石が油田を発見した「新潟県新潟市秋葉区」では2013年4月、住民の敷地内から石油とガスが噴出するという事件が起きている。石油は2015年9月の現在も住民の家の敷地内から石油は少なくなってきたものの天然ガスは噴出し続けており、この地域一帯に石油を含んだ層が広がっている可能性は高い。
今、政府では再来年の消費税引き上げ議論が佳境に入りつつある。消費が冷え込まないよう生活必需品の増税分についてはマイナンバーを使って還付するなどの案も浮上しているが、その額数千円と聞いて何だか興ざめである。そんな、ささやかなお金の還付問題を延々議論している暇があれば、石油を掘ってみればどうか。石油のお金で財政は再建、「消費税はゼロで結構」となるはずだ。(了)
※【参考:「中国、ガス田開発着々 日本は中止求める 」2015/7/23 日本経済新聞より】
http://www.nikkei.com/news/print-article/?R_FLG=0&bf=0&ng=DGXZZO76056900T20C14A8000048&uah=DF_MATOME_____