琴言譚®︎[きんげんたん]

今、救世主なら語る

金くさい「郵貯の7人の侍」

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ゆうちょ銀行で外部人材の登用が進んでいる。6月に元ゴールドマン・サックス証券副会長の佐護勝紀氏を副社長として迎え入れたのを始め、これまでに7人がゆうちょ銀行入りを果たした。長門正貢社長は彼らを「7人の侍」とし、運用収益の向上などを託す考えだ。黒澤明が監督を務めた映画『七人の侍』(1954年)では、百姓に雇われた侍が野武士との戦いに勝利をおさめ、百姓たちを略奪から守った。さて、ゆうちょ銀行の侍たちは何を守るのか。
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●侍は金融機関からやってきた

長門社長が言う7人の侍の特徴は何といってもその金くささにある。例えば宇根尚秀氏はゴールドマン、田原邦男氏はバークレイズ証券の出身、笠間貴之氏は投資ファンドの運営者だ。長門氏自身も旧日本興業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)を経てシティバンク銀行では会長を務めた。もちろん、お金を扱うゆうちょ銀行なのだから、金くさいのは当然なのだが、ちょっとこの金の匂い、尋常ではない。
7人に共通するのはリスクを伴う金の匂いだ。7人がこれまで活躍してきた金融機関を精査してみよう。いずれも富裕層のお金を扱う金融機関だということが分かる。リスクを伴っても積極的に運用し、高い配当を求められる金融機関なのだ。つまり貪欲に利益を求める投資家のニーズを取り込み、これに応えてきた金融機関の出身であり、それを実現してきた人たちだということだ。
長門社長はこうした資産運用のプロをわざわざゆうちょ銀行に招聘し、今後、外国の債券や株式などにも運用先を積極的に広げていう方針だという。リスクは高いがより運用収益を増やし、貯金者に配当で報いていくというのだ。
確かに運用資産の規模は200兆円あまり。規模が規模だけに運用の巧拙で、実入りは大きく変動することは間違いない。
ただ、ここで考えて欲しいのは、ゆうちょ銀が抱えるこの巨額の資金は、全国の農村や地方都市の庶民たちがコツコツと貯めたお金の集合体であるということだ。決してリスクをとらず、「国の安全な金融機関だから」という理由だけで、預けた庶民のお金の集積なのだ。
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●リスクは庶民、儲けは富裕層

ところが、この庶民のお金を使ってゆうちょ銀はさらに稼ぐという。外国債券や株式というリスクの高い市場に出て行き、このお金を運用し収益を増やす計画なのだが、では、仮にその計画がうまくいった場合、その収益を手にするのはいっただれなのか。
答えは株主である。これまでは国だったが、これからは違う。民営化され株が売り払われた以上、その株を購入した富裕層にこそ利益は還元される。リスクをとることのできる富裕層に配当として回るのだ。貯金している当の庶民には何の見返りもない。庶民のなけなしの貯金を何の断りもなくグローバル市場で運用し、その実入りは富裕層に回っていくのである。

●「自己責任」で貯金が消える

この理不尽なカラクリにほとんどの庶民は気づいていない。にもかかわず仮にグローバル市場でゆうちょ銀が運用に失敗し、破綻したとするなら、そのツケは株を持つ投資家とともに、貯金者である庶民にも回される。日々の生活のなかで、お金を節約しようやく貯めた郵便貯金は預けた庶民の「自己責任」という理由で、露と消える。
残念ながら、ゆうちょ銀が運用で失敗する可能性は決して低くない。むしろ高い。日本人がグローバル市場に出て行っても運用技術の未熟さや情報の少なさから失敗するケースは非常に多い。
例えば公的年金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)。運用成績を見てみよう。7~9月期の運用成績は7兆8899億円もの赤字である。中国経済の減速などで世界的に株価が下落したことが響き、四半期としては過去最大の運用損失。14年10月末の運用改革で株式比率を国内外それぞれ25%に高める方針を決め、株式投資を増やしてきたが、それが見事に裏目にでている。
ゆうちょ銀行の持ち株会社である日本郵政西室泰三社長は「今後3~5年で(50%程度まで)売却しないと意味がない」とし、実質的に国が持つ株式をどんどん市場で売り払っていく考えだ。いったいなぜ、さっさと売り払わないと「意味がない」のか、理解に苦しむところだが、残念ながら趨勢はそうだ。ゆうちょ銀が富裕層に牛耳られる日は近い。そのようになれば、庶民の貯金はリスクをはらんだグローバル市場にまるで八岐大蛇が八塩折酒(やしおりのさけ)を飲むように吸い込まれていくだろう。

●今度勝つのは農民ではない

黒澤映画では農民が侍を雇い、その侍は農民を守った。結局、「勝ったのは農民」だった。しかし、ゆうちょ銀の「7人の侍」は富裕層に雇われ、富裕層のために働く。そして農民の資産を食いつぶす。今度の「7人の侍」は農民の味方ではない。そのことを肝に銘じておかなければならない。(了)
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あなたはコオロギを食べますか 

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   フィンランドヘルシンキに面白いベンチャー企業を見つけたと日本経済新聞が1面で報じている。読んでみると確かに面白い。食用コオロギを育てているのだ。その数たるや50万匹。世界人口100億人時代を救うのだというのだが……。


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↑〈専用のコンテナを販売し、飼育のノウハウを有料で提供する〉

● 食料需要1・6倍に

風変わりなベンチャー企業の名前はエント・キューブ。最高経営責任者(CEO)によるとコオロギ100グラムあたりに含まれるプロテインの量は21グラムあり、牛肉や粉ミルクに匹敵する。しかも、飼育コストが格段に低い。仮に牛1頭を100グラム太らせるには1キログラムの飼料と1543リットルの水が必要なのに対して、コオロギは飼料なら100グラム、水は1リットルで、コオロギはざっと牛の10分の1のコストで飼育できるわけだ。
 もちろん農業の生産技術は加速度的な進歩を続けている。ただ、それでも2050年に世界人口が100億人に迫るとなると、今の1・6倍の食料増産が必要になる。生産技術の進歩を待っていたのでは、とても追いつかない。コオロギのお世話になる日がこないとも限らない。
 とりわけ日本は人ごとでは済まされない。農林水産省によれば、日本の食料自給率(カロリーベース)は40%前後。今後はさらに下がる。TPPに大筋合意したとあってはなおさら下がるから、いったん世界的危機や戦争など不測の事態に見舞われれば、日本人の食卓にコオロギをこねてつくったハンバーグが上る日が来ないとも限らない。
 そう考えていたら、日本経済新聞がこのニュースを伝えたのとちょうどころ、日本が捕鯨を再開したとの情報が飛び込んできた。2014年、オランダの国際司法裁判所(ICJ、ハーグ)が日本の捕鯨は商業目的だとして停止すべきとの判断を下したが、今回の捕獲調査はその時以来である。
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●まやかしの調査捕鯨

明るい話である。調査捕鯨という形ではあるが、捕鯨国、日本がのろしを上げた。12年間にわたって調査を続ける予定で、6年後には調査結果の中間報告も実施するという。BBCニュースなどは「また日本が残酷な行為を始めた」と否定的だが、ここで日本はひるむ必要はない。
ただ、むしろ、堂々と調査ではなく「生業としての捕鯨」と主張するべきだ。今回は昨年3月のICJの中止命令に配慮し、捕獲予定数を従来の3分の1に減らしたほか、皮膚の採取や目視での調査、餌となるオキアミ資源量調査なども盛り込み、調査としての意味合いを強めたが、これは逆効果だ。
本来は純粋な捕鯨であるにも関わらず、「調査」だと言うから、そこに弱みが出来るし、まやかしが発生する。日本はそこをつかれる。戦術としては下策である。なにも中国のように他国の領海の島を埋め立て、基地をつくるわけではないのだ。生業を営むわけだから、それを貫いたほうが、よっぽど潔いし、理解も得やすい。
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●日本人がコオロギを食べないように

捕鯨問題は日本の文化と誇りの問題であると同時に切実な食料問題でもある。食料自給率40%の国が、「調査」とうそぶいている間に状況は深刻さを増す。今秋、日本近海で鯨が増えすぎ、サンマが獲れなくなった事件が問題化したように、捕鯨で二の足を踏んでいるうちに日本近海の生態系はバランスを崩し、いずれ取り返しがつかなくなる。
そうならないうちに日本は動き出すべきだ。捕鯨を手控えることは国力をそぐことにつながる。そこを簡単に考えるならば、いずれ日本人がコオロギを食べる日がやってくる。(了)
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自然に帰れ、東芝

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 東芝が米原発事業子会社ウェスチングハウス(WH)の損失を公表していなかった事実が発覚した。金額にして1156億円。粉飾決算後の損失隠しだけに東芝の情報開示(ディスクロージャー)の姿勢を疑いたくなるのだが、この問題が深刻なのはさらにここからだ。これだけの損失を発生させながら、東芝は2019年3月期以降、原発事業事業環境が好転、年平均1500億円の営業利益が上がると試算しているのだ。現実離れした楽観的な数字を掲げながら、原発に拘泥する東芝。このままでは原発の重荷で東芝自らも沈む。
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●情報開示ルール、無視の裏舞台

「大いに反省している」――。11月27日、東京都内で会見した室町正志社長は頭を下げた。最近ではすっかり見慣れてしまった東芝の謝罪会見。「またもや東芝……」と市場(マーケット)関係者の反応は冷ややかだが、日本経済に与える東芝の影響度合いを考えれば、白けてばかりもいられない。
この問題でまず押さえておかなければならないのは東芝が確信犯的に東証の情報開示ルールに違反していたという事実だ。本来なら遅くとも11月7日の2015年9月中間決算発表の際には発表されるべきだったが、東芝はそれを承知のうえで、だんまりを決め込んだ。水面下では発表の準備を進めておきながら、あまりにも厳しい原発事業の実情を白日のもとにさらすことによる影響の大きさを恐れ、土壇場で先送りしてしまったのだ。
しかし、収まらないのが開示ルールを無視された東証経済産業省。とりわけ東芝を監督する立場にある経済産業省はこれまで東芝と蜜月の関係にあっただけに怒りは大きかった。「WH問題をきちんと説明するように」との再三の指示を完全に無視され、最後は「とにかく早くやれ」と強引に東芝に迫った。その結果、今回の異例のタイミングでの発表にいたったわけだが、こうしたことから考えると記者会見で室町社長の口から出た「大いに反省」という言葉は国民に対してというよりは、損失隠蔽で怒りをかった東証経済産業省を意識し発せられた意味合いのほうが強い。
ただ、不自然なのはいくら落ち目とはいえ、東芝ほどの名門企業が、東証の開示ルールを公然と無視してしまったという事実だ。特に東芝出身の西室泰三氏が社長を務める日本郵政グループは4日にグループ3社の株式を上場、東証が運営・管理するマーケットの恩恵を最も受けている企業の1つ。本来なら東芝はとても東証の意向を無視することはできないはずである。
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〈記者会見の冒頭、頭を下げて謝罪する東芝の室町正志社長(右)。左端はウェスチングハウス・エレクトリックのダニエル・ロデリック社長=27日、東京都港区で〉

●断ち切れなかった原発依存

それでも東芝がWHの損失を隠さざるを得なかったのは、11月7日の時点までに東芝が「原発事業をどうしていくか」を定めきれなかったという事情がある。
今となってはWHも西田厚聡元社長ら旧経営陣の時代に買収したいわば過去の遺産。東芝はその旧経営陣に対して『善管注意義務』違反などで損害賠償を求める訴訟を起こし、全否定したわけだから、このタイミングでWHそのものを否定する選択肢もあったはずだ。だから迷った。「原発を切るべきか、残すべきか……」。そして結局はWH買収を決めた経営陣は切り捨てたが、WHそのものは切り離さなかった。
このことは東芝のこれからを占う上において極めて重要な意味を持つ。東芝がWHを含む原子力事業の業績を明かにしたのは今回が初めてだが、ここで明かになったのはかなり厳しい現状と今後の強引な事業計画だ。
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●無謀な経営再建計画

東芝によれば同社の原発事業はWHを買収した2006年以降、年200億円から500億円程度の営業利益を出していた。これが2011年3月の東京電力の福島第1原発事故後、大きく狂った。2014年3月期は358億円、2015年3月期は29億円の営業赤字となり、原発事業は「鬼っ子」に変わった。このため大枚をはたいて買収したWHの価値も買収時から一気に目減りし、今回の1500億円を超える巨額の減損にいたったわけだ。
ただ、ことがこれで終われば東芝にも復活が残されたかもしれない。しかし、東芝はこの分岐点で原発に突入する道を選んだ。子会社のWHを通じ今後15年間で世界で64基の原発を受注、最終的には年間1兆円の売上高を原発事業で稼ぎ出す計画を打ち出したのだ。これには2015年3月期段階で、たった740億円しかない新規建設の売上高を19年3月期以降に年間平均でその8倍の5900億円にまで引き上げる必要がある。つまり実現可能性がほぼゼロだということだ。残された経営資源すべてを原発に注ぎ込んだとしても難しい。
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核分裂は滅びへの道

日本が福島第1原発で実証してみせたように、原発はもはや次世代を担うエネルギーとは言えない。東芝に言わせれば、「世界には今後400基の原発をつくる計画がある。膨大な需要があるから大丈夫だ」ということになろうが、世界の国々もそこまで能天気ではない。福島第1原発で原子炉から漏れ出たウランをどう除去するか、その方策すらたっていない現状からみて、原発が今後世界で普及していくとは考えにくい。それは東芝自身が1番、分かっているはずだ。
企業経営には時代を見る冷徹な目が必要だ。時代の潮目を見誤り、流れに棹さすならば、いかに明晰(めいせき)な経営者であっても企業を滅ぼす。今、時代はもはや原発ではない。太陽の光と熱という基本的なエネルギーが核融合によって生み出されていることから考えれば、核分裂によりはき出される核エネルギーが自然の摂理から遊離していることは明白だろう。自然から逸脱するものは、いずれ自然から淘汰される。東芝もそうだ。不自然な会計、不自然な再建計画、不自然なエネルギー……。東芝よ、自然に帰れ。再生の道はそこにしかない。〈了〉
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中国の舌は米国の舌

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 中国が南シナ海で領有権を主張する「赤い舌」。9本の破線を使って海を囲い込むため「9段線」とも呼ばれる。その舌の内で今、中国の動きが活発化している。岩礁を7カ所も埋め立て人工島や滑走路まで建設するなど自由自在だ。いったい米国は何をしているのか。聞こえてきたのは米国と中国との親しげなおしゃべり。「土曜日には何をして過ごすんですか?」というイージス艦から発した言葉だった。

▼まやかしのけん制 
中国の赤い舌は、南シナ海で中国が領有権を主張する境界線のこと。地図上で見るとまるで中国大陸から垂れ下がった舌のように見えるので赤い舌とも呼ばれる。大きさは巨大でベトナムやフィリピンの領海を侵食し、南シナ海のほぼ全域を占める。もしこの海域が中国に牛耳られてしまえば、日本も安閑とはしていられない。
 自国で石油を生産できずにいる日本にとって、この海域は中東からの重要な原油の輸入ルート。東南アジアに工業製品や電子部品を搬送する道でもある。仮にこの海域を中国に押さえられれば、貿易立国である日本の生命線が危機にさらされる。

 米国も手をこまぬいているわけではない。9月24日、中国の習近平国家主席が訪米した際、オバマ大統領が側近だけの夕食会で、相当に時間をかけて南シナ海の人工島開発を中止するよう要請、これが物別れに終わるや、今度は米軍の派遣に踏み切っている。

 米国が軍隊を派遣したのは中国が領有権を主張する人工島の12カイリ(約22キロメートル)内。イージス駆逐艦ラッセン」を中国の了解なしに航行させたのだ。人工島付近をあえて「無断」で通過することで、その海域が中国の領有権が及ばない「公海」であることを主張するわけだ。中国の出方次第では新たな紛争に発展しかねない事態で、日本をはじめ世界のメディアは「ついに米国が中国の暴挙に業を煮やし動き出した」と沸いた。
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▼緊張感ないイージス艦
米軍も決死の覚悟だったはすだ。イージス艦内をミサイルの射程距離内で中国軍艦船がぴたりと追尾、一触即発の状況の状況が続いた。イージス艦内の緊張感が充満していたはずなのだが、英ロイター通信や米誌「フォーリン・ポリシー」、米紙「ディフェンス・ニュース」などによるとどうも違う。艦内はきわめて平穏だったという。そればかりか、人工島に向かうイージス艦とこれを追跡する中国軍艦船との間で実に砕けた会話がなされていたのだ。

 内容はこうだ。まず10月下旬。イージス艦は人工島のかなり近くにまで到達していたが、この時にイージス艦から中国軍艦船に向かって発信されたのは「土曜日には何をして過ごすんですか。こっちはピザやチキンウイングを食べます。ハローウィンの催しも企画しているんですよ」という言葉。「事態があまりに緊迫していたため、暴発を防ぐための対応」との見方もあるかもしれないが、このイージス艦からの問いかけに中国軍艦船に親しげに応答があったことから考えれば、やはり状況はかなり弛(ゆる)んでいる。

 そして10月27日、イージス艦はついに人工島の12カイリ内に入る。しかし、この時も中国軍艦船は「あなたは中国の海域にいます。何をしているのですか」とイージス艦に繰り返すだけだった。事態は悪化、紛争に発展する気配はまったくなかったという。そればかりか、イージス艦が12カイリ内での航行を終えた後、中国軍艦は「もうこれ以上、貴船にはついていきません。どうか快適な航海を。また会いましょう」と言い残し去っていったという。
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▼蜜月※の米中 
ここで日本が学ぶべきは中国と米国が1枚岩であることだ。米中は2014年、米国防省と中国国防省との間をホットラインで結び、すでにビデオ会議も実施できる態勢を整えている。「意図しない衝突を防ぐため」というのが表向きの理由だが、果たして本当にそうか。習近平首相とオバマ大統領は夕食会で本当に激論を戦わせたのか。そうではない。蜜月なのだ。
中国が領有権を主張する南シナ海の「赤い舌」はもともと国民党の中華民国が1947年に設定したもの。国民党を追い出した中国共産党がこの境界線を踏襲し、1953年から中国の地図に明記するようになった。さらにそこから人工島建設に至るまでにはベトナム軍と衝突、ベトナム国旗を掲げる兵士たちを撃ち殺し、強引に岩礁を奪う事件も起こし、今日にいたっている。その経緯をすべて米国は傍観し、黙認してきたのである。
その米国に集団的自衛権を掲げて尽くそうとする日本。中国のアジア支配を暗黙の形で支援する米国に、かしずく滑稽さを日本は認識しなければならない。中国も米国も腹は1つ。それはまるで八岐大蛇である。その大蛇の舌が今まさに日本をなめ回そうとしていることに気づかねばならない。(了)
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※【蜜月】(みつげつ)《honeymoon》
1 結婚して間もないころ。ハネムーン。
2 親密な関係にあること。「両派の―時代」
『 出典:デジタル大辞泉より』

『公私混同』こそ大蛇のレシピ

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日本郵政グループ3社が東京証券取引所に上場した。ただ、今回、売却したのは全株式の10%程度で、残り90%は日本郵政が保有したまま。依然、国有化の状態にあり、民営からはほど遠い。持ち株会社である日本郵政西室泰三社長はとにかく早く民営化しないと「意味がない」というが、さて、ここで質問。「西室さん、あなたはなぜそんなに民営化を急ぐのですか」。
 
●「3~5年後までに売れ」 
 
「まずは安心」。上場3社の株価が上場前の売り出し価格を上回ったことに関係者はひとまず安堵の表情を浮かべた。仮に投資家が上場前に購入した価格を割り込み、投げ売りが始まるようなら、今後の上場計画は大きく狂う。その最悪のシナリオを避けられたことで、西室氏が強調する「今後3~5年後までに全株式の50%まで売却」が現実味を帯びてきた。
今回、株式が売却されたのは、ゆうちょ銀行、かんぽ生命の金融2社とその株式を保有する日本郵政。しかし、3社の全株式が売り払われたわけではなく依然、金融2社の89%の株式を日本郵政が保有、さらにその日本郵政の株式の89%を政府が持っているわけだから3社はいずれもまだ実質国有の状態にある。
西室氏が言うようにこの国が保有する株式の割合を50%にまで引き下げてしまえば、経営の実権は国から投資家たちの手に移る。そうならなければ「意味がない」と西室氏は言うのである。小泉政権時代から10年の歳月を費やし、身を切って進めてきた「構造改革」が具現化しないというのだ。
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 確かにその通りである。日本郵政は2007年に株式会社化、「民営」となったが、株主は国のままで、思いきった経営改革はできずに来た。ここを根こそぎ切り替えてしまわない限りは、非効率経営は是正できないというのは道理である。「今後3~5年」と西室氏が期限を切って遮二無二、国有を民有に切り替えようと急ぐのも理屈は分かる。
 
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●郵政に効率は必要か
 
 だが、この議論に肝心要な視点が欠けている。日本郵政に効率経営が必要なのかという視点だ。とりわけ日本郵政グループには今回、上場されたゆうちょ銀行とかんぽ生命のほかに、上場されなかった日本郵便がある。全国に2万4000もの郵便局網を持ち、人よりも牛や馬の数のほうが多い過疎地にも郵便局を配置、半日かけて山の中腹にある老人宅にハガキを届ける郵便局員も抱える。こうした郵便システムも人をリストラし、郵便局を統廃合し、効率化していく必要があるのかということだ。
 
 実際に日本郵便を数字だけで見ればかなり厳しい。グループ全体のお荷物であることは間違いない。2015年4~6月期決算でも日本郵便は77億円もの赤字を計上、これをゆうちょ銀行とかんぽ生命の利益で埋めている。例えばゆうちょ銀行とかんぽ生命は毎年1兆円近くを窓口業務の手数料として郵便局に払い、このお金を実質、全国の郵便局網を支えているために振り向けている。
 
 この状態がいつまで許されるのだろうか。ゆうちょ銀行とかんぽ生命が民営化されれば、その株式を持つ投資家たちはいずれ声をあげるだろう。「なぜ、我々の利益を過疎地の郵便局の維持に振り向けるのか」と。投資家としては当然だ。大切なお金をゆうちょ銀行、かんぽ生命の株に投資した以上、それに見合った配当金を求めるのはあたり前の権利だ。同じグループとは言え、まったく別会社の日本郵便のインフラ維持に「なぜ、配当原資を食われてしまのか」という主張には正当がある。
 
 しかし、ここに郵政民営化の1つのポイントがある。小泉構造改革日本郵政グループを民営化する際、過疎地からの批判をかわすため「ユニバーサルサービスは維持する」ことが条件となった。つまり、国民に対しどんな山奥であっても郵便局は統廃合しない条件で、民営化することを決めたのだ。言ってみれば、最初からまやかしがあったわけだ。
本来、日本郵政グループが民営化される以上、非効率は許されない。民間企業なら利益の最大化が至上命題になることは当然の帰結である。にもかかわらず、どんなに小さな郵便局もつぶさないユニバーサルサービスという「公」と、投資家の利益追求、効率化という「私」を混在させたままで、ことを進めた。相反する「公」と「私」の論理は併存を許さない。それを百も承知で政府は「公私混同」のまま郵政民営化をゴリ押ししていったのだ。もちろん、いずれ「私」が「公」を呑み込むことを見越してだ。この「公私混同」こそ大蛇が日本の郵便を呑み込むレシピなのだ。
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 そして、今回の上場。政府の目論見は見事に的中、世の中の潮目は変わりつつある。日本郵政グループが上場した以上、次はどうこの会社が民間企業として効率化を進め、成長戦略を定めていくかに関心が移りつつある。投資家たちが「ユニバーサルサービスは非効率」とし、見直し論を言い出すのも時間の問題だ。政府は労せず、利益至上主義の「民」の論理に「公」を呑み込ませ、日本郵便ユニバーサルサービスを解体することに成功する。
 
●郵便システムは日本列島の血脈
 
 郵便システムがほころべば日本の国力は確実に弱体化する。全国津々浦々に張り巡らせた郵便ネットワークは物流事業による収益システムでは決してない。日本列島の静脈であり動脈なのだ。だから日本郵便は赤い。これをズタズタに切り裂いてしまえば、日本国は起き上がれない。何としても「公」の力で支えねばならない。
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 郵便ネットワークを利益至上主義で解体してはならない。年にたった1度の孫の年賀状を1年間待ち続ける老人が1人でも山村にいる以上、それはどんなコストを払っても届けるのが郵便というものである。それを非効率という言葉で切って捨ててしまえば、人の心は通わなくなる。日本列島の静脈の血もまた通わない。国の信用も損なわれる。
 
  「公」と「私」は切り分けなければならない。「公私混同」こそ罪であり、罠だ。その罠にまんまとはまってはならない。(了)
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櫛名田比売が泣いている

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 日本郵政、ゆうちょ銀行、かんぽ生命が11月4日、株式を上場する。1987年の日本電信電話(NTT)に始まった政府保有株の売却劇も、これでついに大詰め。それはあたかも足名椎命(あしなづち)、手名椎命(てなづち)の最後の娘である※櫛名田比売(くしなだひめ)が※八岐大蛇(やまたのおろち)、つまり外資に食われる瞬間が迫りつつあることを意味する。国を売ろうとしているのは誰だ。

●本丸は295兆円

 復興財源として「4兆円だけは断固獲得していかなければならない」。麻生太郎財務相の言葉だ。政府は11月に日本郵政、ゆうちょ銀行、かんぽ生命の株式を売却し、初回だけでも最大1兆4362億円の資金を手にする。その後の売却分も含めると総計7兆円の資金が国に入る計算で、このうち4兆円を東北の復興に振り向けるという。
今、日本で最大の懸案事項であるのは東北の復興。その東北復興に国が持つ株式の売却で得た資金を振り向けるのはごく自然なことだ。麻生氏の頑張りももっともだと言える。ただ、不思議なのは、そのごく自然なことを実行するのに、一国の財務相ともあろう人物がなぜ「断固獲得」などと力んでみせなければならないのかということだ。あまりに芝居がかってはいまいか。
 そう。芝居なのである。麻生氏特有の芝居なのだ。これに国民は騙されてはならない。実は郵政株式問題の本質は、麻生氏がこだわってみせる株式の売却益にはない。
本質は郵政グループが持つ総資産だ。規模にして295兆円。実に国内総生産(GDP)の6割をしめるその巨額な資金にこそ、この郵政問題の本質がある。全国の2万4000の郵便局のネットワークで集められた庶民の貯金や保険料という資産が上場により極めて高いリスクにさらされるのだ。まさにここがポイントであり、今の政府の狙いだとも言える。だからこそ、あえて麻生氏はたった4兆円の売却益獲得劇を演出してみせているのだ。
ではなぜ、上場すれば295兆円が危険にさらされるのか。まず一義的には上場により投資家が発生することにある。ゆうちょ銀行やかんぽ生命の株式を買って投資家になった人たちは、自分の投資に見合うリターン、つまり配当を要求する。これは投資家としては正当な権利の主張だ。ただ、投資家の利益のため、ゆうちょ銀行やかんぽ生命はこれまでのように、それほど収益は上がらないが安全な国内運用に踏みとどまることは許されなくなる。リスクはあるがより運用収益が見込めるグローバル運用を迫られる。
これにより、ゆうちょ銀行とかんぽ生命は「投資家利益の拡大」「積極運用」という大義名分を得る。利益を最大化させるためのグローバル投資という美名のもとに国富を海外に流出させる正当性を獲得するわけだ。ゆうちょ銀行もかんぽ生命も大手を振って、資金を国外に持ち出せる。
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●始まった国富流出

実際、すでにその予兆は表れている。例えばゆうちょ銀行の運用資産のうち日本国債の購入に振り向けられたのは2007年10月の日本郵政発足時で194兆円あったが、すでにその額は目減りし107兆円。代わりに増えたのが外債だ。2015年3月時点で46兆円もの外債を購入している。上場を契機にこの割合は積み上げられる計画で、今後3年で3割増やし、60兆円にまで拡大する見通しだ。金利は度外視で「もっとも安全」と信じ、ゆうちょ銀行に預けてきた地方の高齢者たちのお金が、回り回って外国への投資に振り向けられているのが現実だ。
これまで郵便局に預けられた貯金はいったん国に吸い上げられたうえで、財政投融資という形で主に日本国内のインフラ整備に投入されてきた。良い意味でも悪い意味でも第2の予算として、国の財政を支えてきたが、上場によりそれがままならなくなる。グローバル投資の名のもとに、海外に資金は流出、やがてそれが止まらなくなる。まるで八岐大蛇がヤシオリの酒を呑むがごとくに、大蛇が樽の酒を飲み干してしまうまで続く。それが、今の政府が描いたシナリオなのだ。麻生氏は、これをカムフラージュしようとしているのだ。

●西室人事に透ける目論見

郵政グループの人事を見れば、政府の国富流出計画が見事に見て取れる。その人事を操っているのは何を隠そう東芝出身の西室泰三氏だ。あれだけの決算粉飾事件を起こし上場廃止の危機に見舞われた東芝の実質的な代表ながら、西室氏は今だ健在である。そして明け透けである。最たるものは4月のゆうちょ銀行のトップ人事で、西室氏自身は日本郵政の社長に身を置きつつ、兼務していたゆうちょ銀行の社長ポストを※長門正貢(ながと      まさつぐ)氏に譲ったのだ。
長門氏は一橋大卒、旧日本興業銀行出身で海外部門を経験し、シティバンク銀行会長も務めた人物。絵に描いたような「グローバル人材」だ。「貯蓄から投資への流れを後押しする」と明確に宣言しており、単に資金を眠らせておくことを悪とし、積極的に投資の流れを作る考えだという。もちろんその資金の振り向け先は、日本国内ではなく海外だ。
西室人脈はこれにとどまらない。6月1日にはゴールドマン・サックス証券元副会長の佐護勝紀(さご かつのり)氏を運用部門のトップに迎えたのだ。日本のお年寄りから集めたお金の総責任者をこともあろうか、ゴールドマン・サックス証券出身者にゆだねたわけで、早速、佐護氏はすでにそのお金の運用方針について「世界でみても一流の運用機関になれるよう、鍛えていく」ことを明かにしている。まるで、国内運用が二流以下、海外に資金運用こそ世界で通用する一流の運用方針であると言わんばかりの物言いだが、こうした西室人脈に基づく面々を見れば、ゆうちょ銀行やかんぽ生命のお金の行く末がいかに危険に満ちあふれているかが、浮かび上がってくる。

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●決断は「今でしょう」

足名椎命、手名椎命は8人の娘を持った。その娘たちが八岐大蛇に次々と食われ、とうとう最後は櫛名田比売1人になった。今、日本の境遇もこれと似る。TPP合意により関税という国の守りは取り払われ、農業はむしばまれ、人々の食生活は乱れ始めている。ほぼ丸裸になりつつあるこの国。唯一の宝として残るのは、ゆうちょ銀行、かんぽ生命の資産だけで、これを失えば残るは1000兆円を超える借金のみだ。資産の裏付けを失った日本国債は世界の信任を失い価値は暴落する。ハイパーインフレの危機も笑ってはいられない。
さて、ではどうするか。足名椎命、手名椎命はスサノオ命に泣いてすがることで、櫛名田比売を守った。日本はどうか。八岐大蛇は今まさに牙をむく。泣いてすがるか、すがらぬか……。決断の時は、今である。(了)
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『日本略史 素戔嗚尊』に描かれたヤマタノオロチ月岡芳年・画)

【参考】《wikipediaより》
※『櫛名田比売(くしなだひめ)』…
クシナダヒメは、日本神話に登場する女神。『古事記』では櫛名田比売、『日本書紀』では奇稲田姫と表記する。
  ヤマタノオロチ退治の説話で登場する。アシナヅチテナヅチの8人の娘の中で最後に残った娘。ヤマタノオロチの生贄にされそうになっていたところを、スサノオにより姿を変えられて湯津爪櫛(ゆつつまぐし)になる。スサノオはこの櫛を頭に挿してヤマタノオロチと戦い退治する。

※『 ヤマタノオロチ(八岐大蛇、八俣遠呂智、八俣遠呂知)』…日本神話に登場する伝説の生物。

長門正貢(ながとまさつぐ)…1948年11月18日生。日本の実業家。シティバンク銀行会長を経て、ゆうちょ銀行社長。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

SUN(サン)マが決める国の盛衰

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「世の中で1番さびしいことはする仕事がないことです」。福沢諭吉の「心訓」のなかの言葉である。確かに職のないことは寂しい。ただ、これは海のサンマとて同じことだ。仕事がなければサンマも寂しい。ではサンマの仕事とは……。それは人に捕ってもらうこと。だから「サンマは人に捕ってもらえる海に行く」。これはサンマから聞いた本当の話である。
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 ●サンマの陰にクジラあり
   サンマが言うには「まずサンマはたくさんの海の御霊を抱えている」のだそうだ。御霊を我が身に抱え、その身を人にささげる。食してもらうことで自分も仕事をしたことになり、成仏できるのだという。要するに「捕ってもらわなければ仕事にならない」。
   ところがだ。日本列島周辺の海ではサンマはなかなか捕ってもらえない。代わりにそのサンマをクジラが食べてしまう。海洋生物の「食物連鎖の」頂点に立つのはクジラだから、食べられるのは仕方がないにしても、その数があまりに多すぎる。多すぎるから人に捕られる前にクジラに食べ尽くされてしまう。
     クジラの食欲は実に旺盛だ。人間が1年間で消費する水産物は9000万トンだが、クジラはその3~5倍を食べる。クジラを人間が捕獲し、一定量を食することは海の魚たちを守ることにもつながるわけだ。自然界は人間もその一員と見なして成立している。その人間が小魚は捕るのにクジラを捕らないという「不自然」な行動をとると地球の生態系の秩序を乱してしまうことがこれで分かる。
   事実、日本沿岸のサンマの量は減り続けている。水産庁によると今年の漁期(2015年7月~2016年6月)のサンマのTAC(漁獲可能量)は26万4000トン。前年よりも26%も減少、TAC制度が始まってから最も低い水準だ。TACの減少はそのまま値段にはね返り、東京・築地の平均で1キロ426円と5年前に比べ3割あがった。仮にミンククジラ、イワシクジラ及びニタリクジラを資源量の4%ずつ50年間捕獲したとするとアカイカの漁獲量はほぼ2倍に、カツオは30%以上、サンマも10%以上増えるとする調査もある。
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●爆食クジラの悲しみ
   ところで、サンマを「爆食」するクジラの方だが、日本が国際捕鯨委員会(IWC)への気兼ねなどから捕らなくなったものだから、さぞかしのびのびと暮らせて快適かと言えば、そうでもない。「クジラも仕事にならない」のだそうだ。「だから苦しくて自分から進んで砂浜に打ち上げられに行く」のだという。これもクジラから聞いた。
    クジラはサンマとは異なり深海で生息する。海深く眠る御霊を身に抱え、人に捕ってもらい食されることで、やはり仕事をして成仏する。しかもクジラは海の深い所にいるから抱える御霊も胎蔵界のものが多く、クジラを捕り食するということで、こうしたやっかいな御霊たちを処置することができる。しかし、日本はどんどんクジラを捕らなくなって仕事がなくなり、失業クジラが日本近海で急増しているというわけだ。
 
●SUN(サン)マと国力
    日本がこのまま水産資源の健全な保護・育成を真剣に考えないまま進めば、いずれ国力は落ちる。サンマ漁も捕鯨も日本人にとっては貴重なたんぱく源であると同時に、この国の先行きを阻む御霊の整理に資する。この国の先行きを左右する見落とせない問題なのだ。
    サンマはSUN(サン)マ。太陽国、ニッポンの重要な魚なのだ。クジラもやはりそうだ。そのサンマやクジラを食することを通しての供養を怠れば、御霊が停滞し国の行く末を危うくすることは間違いない。
   ここで日本は堂々と捕鯨の道を選択しなければならないが、問題を難しくしているのが調査捕鯨の存在だ。日本は調査捕鯨という名目で年間1000頭以上、クジラをとり、その肉を販売している。日本捕鯨協会はこれを「調査の精度を上げるため」としているが、この説明では「疑似商業捕鯨だ」との批判をかわしきることは難しい。むしろ摩擦は覚悟で正々堂々、商業捕鯨だと主張し、それでも理解が得られないならIWCを脱会すればいい。少なくともその覚悟は欲しい。その程度の勇気と気概がなければ日本の捕鯨という伝統文化は守れないし、SUN(サン)マの国、太陽国ニッポンの将来もまた危うい。(了)
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山は動かぬと誰が決めた

 「バーナムの森が動かない限りあなたは安泰だ」。シェークスピアの4大悲劇の1つ「マクベス※」で主人公である王マクベスに予言者が語った言葉だ。マクベスはこの言葉で自らの治世(ちせい)の永遠が約束されたと確信したが、結果は違った。森は動いたのだ。マクベスは自暴自棄となり最後に敗死する。そんな悲劇が今、この日本でも起ころうとしている。九州電力が8月に再稼働させた川内原子力発電所だ。九電は「山(桜島)は動かない。原発は安全だ」というのだが。「山は絶対に動かない」と誰が決めた?金龍の頭に火が入ったこの時代に……。


九電川内原発、再稼働へ

 9月10日、九電川内原発1号機(鹿児島県)が営業運転を始めた。国内原発の営業運転は2013年9月に大飯4号機(福井県)が停止して以来、2年ぶり。このまま行けば川内原発2号機も最短で10月14日には再稼働する見通しだ。これにより、九電は2015年4~9月期の連結最終損益が450億円の黒字(前年同期は359億円の赤字)になる見通し。瓜生道明社長は「電気料金を上げない」ことを表明、原発の再稼働が一般家庭に恩恵をもたらすことを印象づけた。

 川内原発の再稼働は単に九州という1地方の問題ではない。この2年間沈黙を強いられてきた電力業界がようやく「原発稼働ゼロ」の壁に風穴を空けたことを意味する。原発ゼロの暗闇に画期的な火を九電がともしたのだ。

 不思議なことに原発の火はいつも九州からともる。プルトニウムウランを混ぜて原発で燃やすプルサーマル発電も2009年11月、九電が全国で先陣を切って玄海原発佐賀県)で始めた。プルサーマル発電に使用するMOX燃料にはウランの10万倍のアルファ線を発するプルトニウムが含まれる。このため、危険度は通常の原子力発電に比べ格段に増すが、その危険なプルサーマル発電を東京電力関西電力を差し置き、九電がやってのけたのだ。

 こうした経緯もあって電力業界のなかで九電は特別な立ち位置にある。少なくとも単なる地方電力のポジションにはとどまっていない。東電、関電、中部電力という中3社と呼ばれる中核企業をサポート、業界の苦境を打破するリーダー的な役回りを与えられてきた。九電にもその自負はある。だから今回も急いだ。ひな型をつくろうとつっぱしった。再び原発稼働は九電を起点にドミノ式に全国に広がり、原発はベース電源としての地位を復活させる動きに入った。九電は見事に先鋒を務めたと言える。


●金龍神が動き出す

 ただ、九電が先駆けたおかげで、このまま原発は再びかつての地位を取り戻すのかと言えばそれは難しい。日本列島という金龍神体が活動期に入った今、それは許されない。とりわけ、問題なのは山だ。今回、象徴的だったのは桜島で、九電川内原発が稼働を始めるとともに活動を活発化させ、噴火警戒レベルは「4」にまで上昇した。とりあえず落ち着いてはいるものの、これを偶然と片付けてしまうなら、原発を運転する資格はない。

 そしてもっと資格がないのは原子力規制委員会だ。この委員会では「火山影響評価ガイド」を定め、原発の運用期間中に巨大噴火が生じる可能性が十分に小さいとする根拠を示すよう求めている。それなのに今回は、その議論はほとんどないままに、川内原発の再稼働を認めている。火砕流原発に到達する前に核燃料をどう搬出、安全な地点にまで搬送するのか、間に合わなかった場合に原発は安全なのかどうか、など根本的な議論をしないまま、原子力規制委員会は再稼働を認めているのだ。いたいこの規制委員会は何を規制しているのだろうか。

 かつて九電プルサーマル発電を推し進めようとしていたころ「原発は本当に安全なのか」の問いに対して、「それは電力会社が関知する話しではない。プラントメーカーに聞いてくれ。うちはただ、運転しているだけだ」と答えたことがある。そして「あなたは、自分の車が安全だと自分で証明できないのに、車を運転しているでしょう。それと同じだ」と続け、さらに「こう説明すればあなたでも理解できるでしょう」と返してきた。その無知と傲慢さと無責任ぶりには驚くばかりだが、こうした電力会社が日本のエネルギー政策をになっているのが現実である。この暴挙に歯止めがかからないはずはない。

●山は動く

 九電は桜島が川内原発の稼働に「いささかの影響を与えることはない」とスタンスを崩そうとはしない。しかし、人知を越える火山の噴火の可能性を1電力会社が、断定することなど不可能だ。川内原発と桜島との距離はわずか50キロメートル。実際、川内原発の敷地内には2万8000年前、桜島ができる起源となった姶良大噴火の火砕流が流れ込んだ痕跡があり、再び桜島が噴火すればその火砕流が簡単に原発の敷地にまで入り込むことは立証ずみだ。

 マクベスは木の枝を隠れ蓑にして進んでくるイングランド軍を、森と見間違え「森が動いた」と錯覚した。「森が動かない限り安泰だ」という予言者の言葉の裏付けを失ったと思い込んだ。人は常に間違える存在なのである。マクベスのように。

 しかし怖いのは原発はこうした人間の間違えを許さないことだ。ほんのささやかな小さなミスも見過ごさず、つけいり、傷口を広げ、放射能を排出する。絶対性を必要とする原発を、相対的な存在である人間がコントロールすることは不可能だ。皮肉なことにこのことだけは絶対である。
 そのタブーに九電は再び挑もうとしていることに気がつかなければならない。今、まさに起き上がろうとしている金龍神体の頭の位置で。その試みの愚かさはいずれ明らかになるはずだ。警告しておく。「森(山)は動く」――。(了)
『丘の上から近づくノーサンブリア軍を眺めるマクベス』《ジョン・マーティン作》

※「マクベス」(wikipedia)より……
 『マクベス』(Macbeth)は、1606年頃に成立したウィリアム・シェイクスピアによって書かれた戯曲である。勇猛果敢だが小心な一面もある将軍マクベスが妻と謀って主君を暗殺し王位に就くが、内面・外面の重圧に耐えきれず錯乱して暴政を行い、貴族や王子らの復讐に倒れる。実在のスコットランドマクベス(在位1040年–1057年)をモデルにしている。《詳細はこちら↓》
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%99%E3%82%B9_(%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%94%E3%82%A2)

禁断のイチジク、花は安倍の〝実〟内で咲く

自民党安倍晋三首相(党総裁)の総裁再選を決めた。消費増税マイナンバー制導入、そして安全保障関連法の成立……。いずれも戦後日本の路線を大きく転換する政治的な決断だ。それを成し遂げた安倍首相はこれから3年という時間を手に入れ、「次は憲法改正」と打ち上げた。華々しい、実に華々しい――。それなのに不思議に花は見えない。まるでイチジクのように。

●折り込みずみの支持率低下

 日本が攻撃されていなくても戦闘に参加できる集団的自衛権の行使を認める安全保障関連法。最高裁内閣法制局関係者からの「明白な憲法違反」という批判を押し切った強引な法制化だっただけに、安倍政権も相当な体力を消耗した。各新聞社やテレビ局の調査でも5~10ポイント支持率を下げ、支持率30%台に突入した調査もある。
それでも支持率30%台は「黄色信号」の範囲内。「安全保障関連法」を強行すれば支持率が低下するのは予想された結果で、政権側も「これなら想定の範囲内」だろう。アベノミクスの名のもとに年間80兆円もの国富を市場(マーケット)に投入、官製相場で株価の急回復を演出し支持率を上げてきたのも、今回の強行採決に備え「のりしろ」を作っておくためだったと言える。

安倍政権にとってみれば「さて、これから再び支持をどう取り返すか」ということだろう。それを証拠に安倍首相が正式に再選された24日、「アベノミクスは第2のステージに移る」として経済最優先の政権運営を進める考えを表明、その骨格となる新たな「3本の矢」を発表した。それぞれの矢に「希望」「夢」「安心」の3つのキーワードを刻み、国民に示してみせたが、この3本の矢はいったい何を射抜こうとしているのか。本当に花は咲くのか。少し検証してみよう。

●日本版エンクロージャーが始まる

 まず、1本目の「希望を生み出す強い経済」。2014年度に490兆円だったGDP(国内総生産)を600兆円にまで引き上げるという。そのために女性や高齢者、障害者の雇用を拡大、日本全体の生産性を引き上げる計画で、安倍首相は「1億人が活躍する社会を実現する」と表現した。

 何とも不気味ではないか。まるで15世紀以降、英国で起こったエンクロージャー(囲い込み)をイメージさせる。毛織物工業がさかんになった英国で、羊を飼育するために農地から農民を追い出し、あふれた労働力が工場に追い立てられた。同じように日本でも家庭から主婦やお年寄り、体の不自由な人がオフィスや工場に追われ、そこに外国人やロボットが侵入してくる社会が来るのではないか。
おりしも国民に総背番号をつけるマイナンバー制度が導入される。一人ひとりの生産性がガラス張りにされ、GDPに貢献しない国民の居場所はないというのだろうか。

確かに英国で農地を追われた農民が後の産業革命を支えたとする学説はある。しかし、家庭から追い出した女性や高齢者、障害者を使って今さらに日本でどんな産業革命を起こそうというのか。「希望を生み出す」どころか「失う」内容である。

●「家」がほころぶ

 2本目の矢は「夢を紡ぐ子育て支援」。現在1・4程度の出生率を1・8にまで引き上げるのだという。幼児教育の無償化はいいとして、ここで気になったのは「ひとり親家庭の支援」に言及したことだ。もちろんひとり親の子どもも平等に教育を受け、健やかに育つ環境を整えてもらう権利はある。ただ、これをわざわざ子育て支援として公式に表明するとなれば意味合いが異なってくる。事故や災害で両親のいずれかを失った子どもはともかくとして、親であることの自覚の薄い「シングルマザー」(シングルマザーがおしなべてそうだという訳ではないが)も国が「どんどん支援しますよ」というのはいかがなものか。国のもととなる「家」「家庭」の崩壊を助長することにはならないか。

 最後の3本目の「安心につながる社会保障」という矢はどうか。高齢者の介護のため、会社を辞める「介護離職」をゼロにするという。確かに目標は立派だ。結構なことではある。しかり、どうやって実現するのか。財源はどうする。要介護度3以上で特別養護老人ホームなどへの入所を自宅で待つ待機者は現在でも約15万人いる。さらにこうした人々の数は加速度的に増えていくというのに、介護のための人材は慢性的に不足、仮に確保できたとしても、そうした人たちを雇うための財源を国は持たない。石油など資源開発で国がいっこうに稼ごうとしないためだが、結局、ゴリ押しすれば一段の消費増税で、若年層に負担をつけ回すだけになってしまう。こんな画餅を国民が信じるとでも思ったか。

●「実の内」で花は咲く

 こう考えると、この3本の矢で国民の生活に花は咲きそうにない。仮に咲くとしても、継続される金融緩和の恩恵を受けられる富裕層、輸出余力のある大企業のトップ層など安倍政権の身内ばかり。つまり花はまるでイチジクのように安倍政権という「実」のうちでこそ咲くのである。

 安倍晋三首相は24日の記者会見で「憲法改正は党是だ。改正に支持が広がるように与党において、自民党において努力を重ねていく」と述べた。2016年夏の参院選でも「公約に掲げていくことになる」と話した。「希望」「夢」「安心」の政策で経済を浮揚させ、「平和」のため憲法を改正するという安倍政権。これを国民はどう評価するのか。問われているのは国民である。

 旧約聖書の創世記では「エデンの園で禁断の果実を食べたアダムとイヴは、自分たちが裸であることに気づいて、いちじくの葉で作った腰ミノを身につけた」とある。ここから禁断の果実はイチジクであるとする説があるそうだが、まさにこのイチジクを食らうのか、食らわないのか。来年の参院選はそのことが問われている。(了)



※『楽園のアダムとイブ』
17世紀初頭のフランドル絵画の巨匠ヤン・ブリューゲルと大画家ピーテル・パウルルーベンスによる共作の中で最も傑出した作品のひとつ。

安保法案とサンマ1匹のリアリズム


 
安全保障関連法案が参院本会議で成立した。これにより日本が直接、攻撃を受けなくても米国など同盟国が他国から攻撃を受けた場合、日本が加勢し共同で反撃することができるようになる。日本が米国から一方的に守ってもらうだけの「片務性」が解消され、日本も米国を積極的に支援することが可能になる。「守り、守られ」――。日米関係は緊密になり、結果的に国際社会での日本の発言権が増すというのだが、中国に奪われたサンマを1匹奪い返せない現実を政府はどう説明するのか。

 ここで肝心なことは今回の法案成立は日本が戦後、貫いてきた安保政策の転換だったということだ。集団的自衛権の行使を認める今回の法案成立は、300万人以上もの人々の命と引き換えに日本が手に入れた戦争放棄をうたった「日本国憲法9条」と真っ向から対立する。

●政治はリアリズム

背景にあるのは自民党を中心とした政治家たちの「政治はリアリズム」との考え方だ。最高裁判事をはじめ司法関係者が安全保障関連法案を違憲と判断するなかで「法律上の考え方は分かった。しかし、責任政党として国を守るのは自分たちの役目だ」という思いが彼らの今回の強引な法案成立を下支えしている。

 実際、中国との関係は緊迫している。「違憲だ、合憲だ」と青臭い書生論を振り回している間に尖閣諸島実効支配され、日本という国家が切り崩されてしまっては元も子もない。憲法改正を目指した祖父・岸信介元首相の意思を受け継ぎ、リアリズムで国を守ろうとする安倍晋三首相の責任感は分からないでもない。

 しかしだ。政治をリアリズムと主張するなら、現実は正確に見なければならない。何よりもまず日本は、戦後70年かけて世界のなかでようやく築き上げてきた「不戦国家、日本」との信頼感をかなぐり捨ててまで、米国に尽くす価値があるのかを精緻に考えてみる必要がある。

 日本が理解しておかなければならないのは、すでに中国により日本は主権を蹂躙されているということだ。尖閣諸島海域に不審船を送り込み、複数回にわたって日本の領海を侵犯していることは主権の蹂躙に他ならない。にもかかわらず同盟国である米国は1㍉たりとも動いてはいない。気まぐれに政府高官のコメントを発表するだけのことだ。片務的に米国が日本を守ってくれるだけ、ということの方が書生論であり、まったくの机上の空論だということに気づかなければならない。これこそがリアリズムだ。

もっと言えば日本が、蹂躙されたのは領海権だけではない。2014年、福田康夫元首相が北京を訪問する少し前のことを思い出してもらいたい。尖閣諸島周辺海域に中国の鯖漁船が不法に侵入、サンゴを強奪していった際、米国は沈黙したままだった。習近平氏との会談をちらつかされた日本は萎縮し、いつもの「遺憾の意」を表明するだけだったが、この時、日本の領海権は侵犯され、国富は奪われていたのである。

●奪われた日本のダイヤモンド

 ちなみに中国が強奪していった赤サンゴは日本珊瑚商工協同組合よると2014年は根が付いたものなら1キロ660万円とダイヤモンド並みの価格。根が折れたりして枯れた状態のものでは130万円だったという。領海にあいさつもなく入ってきた隣国に、これだけの国富を奪取されれば、すでに立派な主権の蹂躙である。自国の鉱山に無断に分け入り、ダイヤモンドを採掘していった隣国に黙っている国はどこにもないだろう。もし、今回のようなことが日本でなく英国やロシアの海域で行われたならすぐさま戦争行為に発展することは間違いない。

 ただ、ことがサンゴなら庶民にとって実害は少ないかもしれない。しかし、サンマならどうだろう。先般、この琴言譚で、太平洋を北上してくるサンマが日本近海に到達する前に南の公海で中国と台湾の乱獲にあい激減している実態を紹介した。泳ぐサンマは公共財なのにこれを1国の漁船が我が物顔で独り占めし、他国の利益を侵害することは許されない。特にサンマは庶民の活力となるたんぱく源であるだけに意外に侮れない問題でもある。そのサンマを中国に強奪されたまま放置すれば、いずれ日本の国力はそがれ経済力は落ちる。

一見、小さいが見過ごすことのできない重要な問題なのだ。この問題を政府はどう解決するつもりだろう。9月3日に東京で行われた北太平洋漁業委員会の初会合では「急増する中国漁船の隻数を制限して欲しい」との日本側の主張を中国側は完全に無視した。

これを解決するために、集団的自衛権行使の見返りとして、米国から中国に対し「そのサンマ、日本に少し譲ってやってもらえないか」と交渉してもらうのだろうか。中東紛争に自衛隊を派遣し、そこでの犠牲を代償にサンマを回してもらうのだろうか。人を失う代わりいサンマを得るのか。それこそ世界の笑いものである。

人や企業の「グローバル化」は安倍首相の十八番である。ならば日本国のグローバル化はどうしたのだ。日米同盟の枠に閉じこもり、自ら1人で世界を相手に交渉しようとしない日本のグローバル化こそ遅れているのでないのか。サンマ1匹ままならないのに、世界貢献も何もないというものだ。(了)

サンマが見限る経済大国



 秋の味覚「サンマ」が異常だ。初競りで1kg7万円の最高値を付け、その後も値段がなかなか下がり切らないのだ。9月に入っても平均産地価格は前年同時期の3倍近くにあたる600円程度。東京・築地でも900円(中心値)と高値だ。中国や台湾の乱獲で日本近海でのサンマが激減、奪い合いの状況が続く。さらば庶民の味……。衰退する経済大国にはサンマも寄りつかない。
 
あはれ 
秋風よ
情(こころ)あらば伝えてよ――

「秋刀魚の歌」で佐藤春夫谷崎潤一郎の妻との道ならぬ恋に苦悩する孤独を詠ったが、その恋の寂しさを演出する道具として使ったのがサンマ。確かに「秋風」、「許されぬ恋」、そして「サンマ」とくれば心にまで冷たい風が流れこんでくる心持ちになるが、そのサンマも1尾2300円ともなれば、様子が違ってくる。



●中国、台湾が公海で先取り

いったい何が起こっているのか。最大の原因が中国と台湾の公海でサンマの乱獲だ。公海はどの国にも属さない海だから、操業を縛る規制は存在しない。それをよいことに経済成長で中間層の所得が上昇してきた「爆食」の中国や台湾が日本の5倍もの1000トンクラスの大型漁船で獲りまくっているのだ。

通常、秋になるとサンマは太平洋を経て日本海に近づく。日本漁船は近海の排他的経済水域EEZ)にサンマが回遊してくるのを待ち、これを捕獲してきたが、その前に中国や台湾が先取りしてしまうのだ。日本のサンマ漁はさっぱり奮わない。2008年の34万3225トンをピークに減少が続き、2013年には14万7819トンとピーク時の半分以下にまでなってしまった。

半面、漁獲量が急増しているのは中国と台湾。中国の漁獲量は2014年までの2年間で約38倍の7万6000トン。台湾はさらにこれよりも多く、日本を上回る水準にまで増えている。

●日本を見限る台湾

問題なのは中国よりも台湾だ。台湾が獲ったサンマはまずは自国に振り向けるが、それでは当然、消費しきれない。その分を日本ではなく中国に持ち込んでいるのだ。冷凍にしたサンマのほか缶詰にも加工、国内総生産(GDP)で日本を抜き世界第2位の中国に輸出している。水産業者は価格はもちろんだが安定的に消費してくれる市場(マーケット)に卸したいのが本音。そういった意味では台湾の水産業者に日本よりも中国のほうが魅力的に映っているのは確かだ。

たかがサンマ、されどサンマ。ささやかな秋の楽しみが遠ざかった庶民にとっては寂しい出来事だが、日本がアジアの近隣国に見限られている証左なのだとすれば、さらに寂しい話しでもある。高騰するサンマに佐藤春夫も眉をひそめているかもしれない。(了)


※『佐藤春夫』《Wikipediaより》…https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E6%98%A5%E5%A4%AB



日中ガス田、日本はこうやって掘れ

 緊迫感を増す日中ガス田共同開発問題に解決の糸口はあるのか。答えは「イエス」だ。「共同開発」することである。中国が話し合いのテーブルにつきもしないのにどうやって共同で開発するのか、との疑念をお持ちの方も多いだろう。しかし、できるのである。日中双方の海岸線から等距離の地点を結んだ日中中間線から日本側に1・5キロメートル入ったところで掘削し、これを「共同開発」と主張すればよいのだ。

日本経済新聞2015/7/23より』※

●中間線から1・5キロに「解」あり

ポイントはこの1・5キロメートルという距離だ。この距離は中国が日本との取り決めを無視し、掘削作業を進めている春暁(白樺)と日中中間線の距離。この同じ距離だけ日中中間線から日本側に入り込んだところで日本側も掘れば良いのだ。

中国側は日中中間線をはみ出してきているわけではない。「その点では決して日本を完全に無視はしていない」。同程度の配慮を日本も中国にしたうえで、日本側の領海で日本も中国同様に掘削すれば、全くのイーブンであり、中国側も抗議のしようがない。

仮に抗議があっても2008年6月の日中ガス田合意に基づき「共同開発しているだけ」とすれば、中国もそれ以上は文句のつけようがない。なぜなら中国自身がその理屈で「共同開発」しているからだ。

中国側は日本と共同開発で合意した白樺ガス田を単独開発進めていることについて「中国は白樺(中国名、春暁)ガス田の完全な主権と管轄権と持っており、中国側の白樺(中国名、春暁)での活動は完全に道理にかない合法だ」と主張している。日本はその中国の理屈を逆手にとれば良いのだ。
日本は中国に抜かれたとは言え、国内総生産(GDP)で世界3位の経済大国。しかも、1979年から中国に対して3兆円ものODAを実施している。その中国に対し、この程度の主張を通せなければ、日本の外交力はないに等しい。

もちろん摩擦はあろう。しかし、ある程度の摩擦は覚悟する必要がある。2008年6月の日中ガス田合意によると、白樺プロジェクトなどは日本法人が中国の開発企業に出資、出資比率に応じて日本が利益を配分してもらうことになっている。開発の主体は中国に任せ、稼ぎの一部を「お裾分け」してもらう取り決めは、スタートからして弱腰だが、それすら完全に無視されている現状にあっては、もはや黙認しているわけにはいかない。今、この瞬間にも中国は石油を掘っているのである。

日本は謙譲の美徳を重んじる国柄だ。しかし、ここは譲る局面ではない。譲ればあまりに巨額の国富が消失してしまう。

尖閣諸島周辺にイラク級の油田

その国富の巨大さを示す1つの証拠がある。1969年5月に国連・アジア極東経済委員会(ECAFE)の報告書だ。ここで1968年10月から11月末での間に東シナ海海底の調査を行った際の報告書で、「台湾と日本との間に横たわる浅海底は将来、世界的な産油地域となるであろうと期待される」と指摘しているのだ。報告書にある「浅海底」は尖閣諸島周辺の海のこと。ほぼ現在、中国が石油を掘削している日中中間線周辺エリアとつながっていると見ていい。日本側の調査によると尖閣諸島周辺海域の原油埋蔵量は1095億円バレルに達するといい、世界第2位の産油国であるイラクに匹敵する規模の油田が、ここに眠っているわけだ。

いずれ尖閣諸島周辺の油田開発は日本国の重要課題となるのは当然のことだが、尖閣諸島の巨大油田を守るためにも、今の白樺など日中共同ガス田開発で譲ってはならない。譲れば、「日本は弱腰」とみた中国側がさらにつけ込み、巨大油田のある尖閣諸島の「本丸」まで一気になだれこむ。中国への防波堤を築く意味でも、この共同ガス田開発で競り負けてはならない。
ただ、重要なことは米国をアテにできないということだ。米国が本当に日本の権益を守る気があるなら、すでに守っている。なにしろ、米国は大量破壊兵器を理由に「自衛」と称してイラクを先制攻撃、10万人を超える市民を犠牲にする国である。仮に本気なら中国が日本との「共同開発」の協定を破り16基もの石油掘削拠点を設けるのを黙ってみているはずはない。中国が日本の領海を侵犯、石油を盗み取るのを黙認しているとみるのが国際常識だろう。

●INPEXが新潟で油田開発

いずれにしても今、日本がこの閉塞感を打ち破るには、エネルギー問題に腰を据えて取り組む必要がある。それには「日本は無資源国」という古い常識を疑ってみることだ。

例えば今年4月、国際石油開発帝石(INPEX)が新潟県新潟市秋葉区で油田開発に成功している。これは単なる偶然か。地方都市とはいえ、市街地のなかから1日あたり300~380バレルの原油が産出される国が世界中のどこにあろうか。2017年度からは生産量をこの3倍の1日900~1140バレルにまで引き上げる計画だといい、東シナ海の日中ガス田共同開発にすがらなくても、エネルギー大国日本への道はすぐ足元にある。日本は決して無資源国ではないのだ。

それを証拠にこの国際石油開発帝石が油田を発見した「新潟県新潟市秋葉区」では2013年4月、住民の敷地内から石油とガスが噴出するという事件が起きている。石油は2015年9月の現在も住民の家の敷地内から石油は少なくなってきたものの天然ガスは噴出し続けており、この地域一帯に石油を含んだ層が広がっている可能性は高い。

今、政府では再来年の消費税引き上げ議論が佳境に入りつつある。消費が冷え込まないよう生活必需品の増税分についてはマイナンバーを使って還付するなどの案も浮上しているが、その額数千円と聞いて何だか興ざめである。そんな、ささやかなお金の還付問題を延々議論している暇があれば、石油を掘ってみればどうか。石油のお金で財政は再建、「消費税はゼロで結構」となるはずだ。(了)

※【参考:「中国、ガス田開発着々 日本は中止求める 」2015/7/23 日本経済新聞より】
http://www.nikkei.com/news/print-article/?R_FLG=0&bf=0&ng=DGXZZO76056900T20C14A8000048&uah=DF_MATOME_____

1粒3000億円の生ガキ、新国立競技場は安保の生贄



東京五輪の主会場となる新国立競技場の建設計画の練り直し作業が急ピッチで進み始めた。建設費の上限は今のところ1550億円程度。7月に白紙となった最終計画案で、その1・6倍の2520億円と見積もられていた数字は「いったい何だったのか」という疑問が湧くのは当然だ。ゼネコン(総合建設会社)と自民党政権との癒着となれ合いがまたも法外な公共工事を生み出したのか、という気にもなるが、実は今回はそうではない。この土壇場での白紙撤回こそが安全保障関連法案の採決のため3年も前から用意されたシナリオだった。建設計画は覆されるために作られた。

 「僕はもともと、あのスタイルは嫌だった。生ガキみたいだ」――。

新国立競技場の計画白紙が決まると五輪組織委員会の会長、森喜朗元首相はあっさりこう言い放った。森氏は新国立競技場を旧計画の「生ガキ」のままで実行することにもっとも固執した人物。しかし、いざ白紙撤回が決まってしまうとベテランの政治家らしく世論の風を読み、さっさっと切り替えてしまった。

 もともと森氏が旧計画どおり新国立競技場を建設することにこだわったのはラグビーワールドカップ(W杯)があるからだ。生ガキみたいなデザインにこだわったわけではない。W杯は東京五輪の1年前に開催することが決まっており、その会場に新しく建設する新国立競技場を振り向けようと考えていたのだ。森氏は早大ラグビー部出身でラグビー人脈も太い。W杯を東京五輪よりも前に新国立競技場で開催できれば、森氏の存在感も俄然(がぜん)、高まる。にもかかわらず建設計画が見直されることになれば、一からやり直しで、新国立競技場の完成はギリギリ、五輪に間に合うタイミングになる。五輪の1年前のW杯にはとても間に合わない。激しく抵抗したが、最後は安倍首相に「建設には巨額な金額を投入することが避けられない。あきらめてください」と説得されてしまった。


 
確かに安倍首相の言う通り、当初案通りの建設計画ではお金がかかり過ぎる。当初、1300億円の予算で予定されていたが、それが2520億円にまで膨れあがるとなれば国民の支持は到底、得られない。08年の北京五輪のメーン会場が約550億円、ロンドン五輪が約600億円でその4倍ものお金がかかるメーン会場の建設が「コンパクト」を売りにする東京五輪で認められるはずはない。その意味では安倍首相は英断を下した。ただ、不思議なのは決定がなぜ、ここまでもつれ込んだのかということだ。



森氏の反対も逆風ではあっただろう。しかしそれは1つの要因に過ぎない。「デザインありきで、設計や構造計算が後回しになってしまい、建設費を割り出すのに時間がかかってしまった」というのが表向きの政府見解だが本当にそうか。東京都の舛添要一知事は「本来、1年前にやっておくべきこと」と言うが実際、遅すぎる。

関係者の証言を総合し詳細に検証してみると、3000億円でも建設できないことは1年前はおろか、デザインが決まった3年前の段階で判断できたことが分かってきた。

それでは安倍首相が発表を3年引き延ばした理由な何か。

なぞを解く鍵は計画を白紙撤回したその前日、7月16日にある。この日、国会では最大の焦点である安全保障関連法案が自民、公明両党の賛成多数で衆院本会議で可決され、衆院を通過しているのである。集団的自衛権の行使を認める内容で、これで戦後の安保政策は大きな転換点を迎えた。世論の大半の反対を押し切っての採決は、安倍政権への反発を強め、支持率も大きく低下させた。建設計画の白紙化はその翌日の発表だったのだ。

集団的自衛権の行使をどうしても可能にしたい安倍政権は法案を通せば支持率が低下するのは承知のうえ。折り込んだうえで、法案を通した。そしてその直後に建設計画の白紙撤回をぶつけたのだ。ここでリーダーシップを示すことで支持率を再び底上げし、9月に控える参院通過のための追い風としたのだ。

そのために安倍政権新国立競技場の白紙撤回という隠し玉を3年間温存させた。そのことを証明したい。日本スポーツ振興センター(JSC)は2012年7月、新国立競技場デザインの国際コンペを実施、そこで選ばれたのがイラク出身の建築家ザハ・ハディド氏のデザインだった。建築家、安藤忠雄氏が審査委員会の委員長を務め、ザハ氏のデザインを「非常にダイナミックで斬新なデザイン」と評価、最後まで残ったザハ氏の案とオーストラリアと日本の設計事務所の案の3つのなかからザハ氏のデザインを選んだ。ただ、安藤氏はこの時、「私たちが頼まれたのはデザイン案の選定まで」で、「徹底的なコストの議論はしていない」。


もちろん1300億円という予算が決まっているなかで、その枠内に収まるかどうかをよく検証もしなかった安藤氏は批判を免れることはできないだろう。一方で安藤氏は独学で建築を学んだ建築家に過ぎない。設計士でもないし、建築を請け負うゼネコンで勤めた経験もない。つまりデザインの善しあしは分かるが、それをつくるのに何が必要で、どれだけの資材や人を使い、どれほどのお金が必要になるのか、計算する力は持ち合わせていない。

 ただ、安藤氏ほどの人ですら建築費が分からなかったのだから、だれも分かるはずはないと考えるのは早計だ。確かにデザインが決まった段階で、図面すらなく構造計算をすることは難しい。しかし、ある大手建設会社の幹部は「日本の建設業界のなかにはあのデザインなら3000億円はゆうに超えることが分かる人間はいたはず」と証言する。3年前の2012年11月、コンペを経てザハ氏のデザインが選ばれた時点で到底、1300億円の枠では収まり切らないことは瞬時に判断できたというのだ。

その根拠とはこうだ。ザハ氏のデザインの最大の特徴はキールアーチ。2本のアーチを天井部分に通し、これで屋根を支える形になっている。このキールアーチこそこの建物の生命線なのだが、そもそもこれほどの巨大なアーチを天空につくりあげることは可能なのだろうか。

建設の専門家に言わせれば、建設は可能だという。長さ370メートルの巨大な橋を競技場の上空に建設すると思えば机上の計算では成り立つ。米サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジを競技場の上に建設すると思えばいいわけだ。

通常、あのクラスの橋をつくる場合、4~5分割するケースが多い。事前にピースをドッグでつくっておき、建設現場まで船で運び、組み立てていく。ただし、新国立競技場は陸上に建設するのだから、船は使えない。トラックで運ぶことになるが、そのためには40ピース程度に分割し長さ10メートル単位にしてトラックで運べる大きさにまで小さくする。ただ、仮に10メートルにまで細分化しても今度はその重さがネックになる。長さ10メートルのコンクリートのブロックだとすると重さは30トン。ダンプカーは最大積載重量が7トンだから少なくとも4台程度のダンプカーを連結し、運ぶしかない。

では4台連結し、30トンもの重さのブロックを積んだダンプカーをいつ走らせるのか。仮にすべての道路がダンプカー4台を連結して走行できる道幅があるとしても昼間はとても走れない。夜間に道路を完全に封鎖し警官を総動員し運ぶのである。しかも40ピースだ。


《※イメージ画像》

コンクリートブロックが無事、建設現場に到着した後は、40トンの巨大なコンクリートブロックを空中でつなぎ合わせていく作業が待つ。ちなみにコンクリートブロック1つの断面積は80平方メートル。ファミリータイプのマンションの平均面積よりも広い。その断面積のコンクリートブロックを空中で擦り合わせ中に組み込んだ天骨や鉄筋を1本ずつ溶接していくのである。熟練の溶接工が何人必要になることだろうか。

こう考えていくとキールアーチは理論的に建設は可能だが、1本で少なくとも1000億円はかかる。2本で2000億円。JSCの最終案(2520億円)でスタンド部分は1570億円と見積もられていたが、ここから考えても3000億円では到底、収まらない。もちろん崩落事故などのアクシデントがまったく無かったと仮定した場合でもだ。

マスコミでは資材や人件費の高騰により、時間が経過するとともに建設費が高騰したとの報道がなされているが、決してこれは真実ではない。デザインが決まった段階で、1300億円の枠は超えていた。「ゼネコンがふっかけた」わけではなく最初から3000億円超なのだ。

この事実を安倍政権は早くから把握していた。

100億円単位では分からなかったにしても1000億~2000億円単位では収まらないことはわかっていたはずだ。それを土壇場まで隠し通したのは、首相が「見えを切る」タイミングを「安保法案を採決した後」に設定していたからだ。安倍首相が英断を示す見せ場をつくり、安保法案採決で低下した支持率を底上げするシナリオを描いていたのだ。

もくろみ通り、今のところ支持率は危険水域への突入を免れている。安倍首相は小泉純一郎政権の幹事長を務めた人物。小泉氏は「自民党をぶっ壊す」ことを掲げ「敵対勢力」と戦うポーズをとり「構造改革」を演出した。しかし、実際にぶっ壊したのは旧経世会と関係の深い団体ばかり。

そのなかで建設業界、とりわけゼネコンは叩けば叩くほど、支持率が上がることを安倍氏は目の当たりにした。選挙の総責任者である幹事長という立場から、建設業たたき、公共工事費削減が票になることをデータで徹底的に学んでおり、新国立競技場問題が支持率回復の切り札になることを早くから直感していたのだ。

それを証拠に旧計画では文部科学省とJSCという建設に全く知識のない素人集団に仕事を一任している。首相自身も全く関与していない。ところが、いったん叩いてからは関係閣僚会議を結成、議長に五輪相、メンバーに専門家の国土交通相と予算を牛耳る財務省を加えた。そして何より首相自身も新たに参画、オールジャパンの体制をしいた。最初からひっくり返すつもりの「卓袱(ちゃぶ)台」には何も置かず、ひっくり返した後にご馳走を並べたわけだ。

森氏も同様だ。W杯を理由に旧計画で新国立競技場の建設を主張、そして土壇場で安倍首相に説得されるという役回りを演じている。安倍首相の「見事な引き立て役」なのだ。説得されるために、あえて「生ガキ」みたいな新国立競技場の建設を主張したと見ていい。


いずれにしてもとんだ茶番である。2520億円が1550億円に。その差、約1000億円。この1000億円を捻出してくれた首相の英断を、国民はありがたがらねばならないのか。ちなみに黒田日銀総裁による金融緩和で年間にマーケットに投入された資金は80兆円である。

ウソは大きくつくのが鉄則である。地球の裏側まで同盟国支援という名目で、武器を携えていくための戦争法案を平和法案といいくるめる大きなウソ。国民の税金を80兆円も浪費しながら、世界同時株安で簡単に水泡と帰してしまう無謀を経済対策というウソ。わずか1000億円のコストカットで、国が滅びにつながる施策を繰り返す首相を支持するのはそれ以上のウソというものである。(了)

日中共同ガス田開発ーー夢は獏に食わせてしまえーー


日本の岸田文雄外相と中国の王毅(おう・き)外相が8月6日、マレーシアで行ったガス田開発の協議は完全に決裂した。東シナ海で中国が進めるガス田開発は本来、「日本と共同で進めることになっていたはず」というのが日本の主張。しかし、中国側が話し合いの土俵にあがってくる気配はない。時間は経過、中国単独のガス田開発は進む。追い込まれる日本。日本の針路はいかに……。答えは「共同開発の夢など獏(バク)※に食わせてしまえ」だ。
・獏(葛飾北斎画)

8月7日、閣議後の記者会見で財務相麻生太郎氏が気になる発言をしている。
靖国神社には「終戦記念日に行った記憶はない」。今月15日の終戦記念日に「靖国神社参拝に行かない」という意味だが、背後に中国への配慮があることは間違いない。
相も変わらず、中国に譲り続ける日本だが、肝心なところ解き放ってしまえば、主権国家として形は崩れる。
資源問題は靖国参拝同様、その肝心要なところである。

懸案となっている東シナ海でのガス田開発は、日中両国が2008年6月、東シナ海ガス田問題の解決を目指し、まとめた合意事項に端を発する。
合意内容とは、日本と中国が主張する領海のちょうど中間地点を結んだ日中中間線付近にあるガス田「翌檜(あすなろ)※」(中国名・龍井)周辺を共同開発区域とし、その他のガス田についても「共同開発をできるだけ早く実現するため、継続して協議を行う」というもの。

日本と中国は合意に基づき条約締結交渉に入ったが、10年9月の中国漁船衝突事件後に中断。再開のめどは立たず、中国による単独開発が淡々と進んでいる。

単独開発の拠点は翌檜だけではない。
日本政府の発表によると2013年6月以降に中国が建設した海洋プラットホームは12基。
その前にすでに4基が建設済みであったため、全部で16基ものガス田開発が、「日本と中国が共同で進める」としたはずの東シナ海で、中国単独で進んでいるのである。

今、この瞬間も中国は東シナ海で石油を掘り続けている。防衛省は「ゆゆしき事態」として、7月に入りこの16基の航空写真と地図を外務省のホームページ※に掲載、「けん制」を始めた。

もちろんこれをけん制とするのは日本側だけで、掘削は「主権の行使」(王毅外相)と主張している中国側にしてみれば、正当な開発行為をホームページで公開されたからといって何ら後ろめたいところはないというのが本音のところ。日本政府の対応は十分とは言えない。

とはいえ、日本政府もこれ以上、事を荒立てる予定はない。理由は9月3日に北京で開く抗日戦争勝利記念行事に安倍晋三首相が招かれる可能性があるからだ。

ここで日中首脳会談が実現すれば、細りつつある話し合いのパイプに復活の可能性が出てくる。中国が日本に勝利したことを祝う式典をありがたがって、わざわざ出向いていく日本の外交センスは情けない限りだが、世界第2位の経済力を持つ中国におもねりたい財界の意向を受けた安倍首相らしい判断でもある。
ただ、目の前の利に目がかすみ、本来、国として死守すべき石油資源をさらわれてしまっていては本末転倒である。財界栄えて国は滅ぶ。

そもそも2008年に合意した共同開発にしても実態はなにもない。一時は日本政府側が国際石油開発帝石などにプロジェクトへの出資も検討させたが、どのポイントをどう掘削、開発していくのか具体的な話しは全く進んでいない。それどころか、今や中国は南シナ海の南沙(なんさ)[英語スプラトリー]諸島※付近では岩礁を埋め立て、軍事施設を建設する勢いである。
アジアでの覇権を見せつけようと近隣諸国を圧し、拡大路線を志向するなかで、南シナ海に続く東シナ海で、対立関係にある日本とガス田を共同開発するなど夢の夢である。

岸田外相王毅外相との今回の会談で、ガス田開発は止められなかったが「ガス田を巡る協議は継続することで合意した」と外交の成果をアピールした。しかし、もはや実現可能性のない見せかけの合意に希望を見いだそうとすることは無意味である。まず、日本は中国との共同開発という幻想を捨てるべきだ。そこから次が始まる。今、その「次」が芽吹こうとしているのだから。


※獏(バク)⇨中国から日本へ伝わった伝説の生物。[Wikipediaより]
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%8D%8F

※[外務省HP]中国による東シナ海での一方的資源開発の現状↓
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/higashi_shina/tachiba.html

※翌檜(あすなろ)⇨ヒノキ科アスナロ属の常緑針葉樹。日本固有種。[Wikipediaより]
https://.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%8A%E3%83%AD

南沙諸島(なんさしょとう)またはスプラトリー諸島(Spratly Islands)⇨南シナ海南部に位置する島・岩礁・砂州からなる島嶼群である。岩礁・砂州を含む約20の小島(およそ島と言えるものは12)があり、これらの多くは環礁の一部を形成している。[Wikipediaより]
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E5%B6%BC

東芝と安倍、断ち切られた蜜月


東芝の不正会計処理事件は蜜月だった安倍政権との間にくさびを打ち込んだ。安倍政権と手に手を取り、政権の政策面を全面的に補佐してきた東芝の失墜は、アベノミクスの限界をさらけ出してしまった。東芝頼みの安倍政権は重要なエンジンを1つ失った格好だ。


「財界総理」と呼ばれ政治や海外への顔役となる経団連会長。現在は東レ榊原定征会長がその席に座る。売上高ではトヨタ自動車の10分の1程度の繊維メーカーの会長がトップとなったとあって「経団連の地位もかなり低下してきた」との見方もあるが、安倍首相自らが財界にすり寄る現状では、政府に対する発言権は依然、大きいものがある。

その経団連東芝は人材を輩出し続けてきた。1956年、第2代の会長となった石坂泰三氏、1974年から会長を務めた土光敏夫氏をはじめ、副会長、企画担当者、スタッフなどその時々に応じて必要な人材を東芝は送り込み続けてきた。
社員20万人、取引先2万2000社の巨大企業だからこそ成せる技と言えるが、東芝はその役回りを務めることで、投資に見合う十分な見返りも受けてきた。

例えば、安倍政権が重要施策として掲げるインフラ輸出。鉄道や空港などインフラに関連した製品やサービスを海外に売る成長戦略の一つで、政府は2020年までにインフラの輸出額を30兆円と10年比で3倍に増やすという。そのためにODA※をバラマキ、首相自らトップセールスを展開するが、これなどはまさに東芝の意向を受けたものだ。

それをよく表しているのが「パッケージ型輸出」といった言葉。政府はこのパッケージ型のインフラ輸出を全面的に後押ししていくという。

パッケージ輸出とは、単に物を売るだけでなく、メンテナンスやサービスをセットにして一体で輸出するというのがその内容。

しかし、地球の裏側で巨大な高速鉄道網を構築、そこに車両を走らせ、メンテナンスまでするような力を、今の日本でいったいどれだけの会社が持ちうるというのだろうか。

あえて言えば日立か三菱重工くらい。結局、安倍政権成長戦略というのは、すなわち東芝成長戦略を意味することになる。

東芝は国にインフラ輸出といった自分がほぼ独占的に力を発揮できる分野に、まんまと日本を引き寄せ、自社のセールスに利用しているのである。

国と企業が主客逆転してしまい、従であるはずの1民間企業の利益のために主である国が世界を走り回る奇妙な構図が出来上がったのだ。

実際、今回の不正会計処理事件が発生する前の東芝は政権にものを言える立場をしっかりと確保していた。副会長の佐々木則夫は今回の事件で辞任したが、それまでは2013年6月から経団連の副会長のポストにあった。

経団連を代表して、政府の成長戦略を立案する産業競争力会議経済財政諮問会議の民間議員としての立場も得ており、このルートで政権に圧力をかけてきた。安倍政権肝煎りの「インフラ輸出」はその賜物だったわけだ。

今回の不正会計処理事件で東芝は財界からほぼ姿を消す。当面は復帰することは難しいだろう。安倍政権の陰の立役者が、ひとまず深い闇に沈んだ。(了)

ODA⇨開発途上地域の開発を主たる目的とする政府及び政府関係機関による国際協力活動
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/about/oda/oda.html